文豪たちがガチで謝った! 無理ありすぎな『断謝離』テクニック集

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

文豪たちの断謝離 断り、謝り、離れる

『文豪たちの断謝離 断り、謝り、離れる』

著者
豊岡 昭彦 [編集]/高見澤 秀 [編集]
出版社
秀和システム
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784798063812
発売日
2021/06/05
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

文豪たちがガチで謝った! 無理ありすぎな『断謝離』テクニック集

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

以前、著名な文豪たちのネガティブワードを満載した『文豪たちの憂鬱語録』(豊岡昭彦、高見澤 秀 編集、秀和システム)という書籍をご紹介したことがあります。

なかなかインパクトのある内容でしたが、その続編と位置づけることができそうな『文豪たちの断謝離 断り、謝り、離れる』(豊岡昭彦、高見澤 秀 編集、秀和システム)もまた、前作に負けずとも劣らない内容。ちなみに、今回は「断謝離」がキーワードとなっています。

とはいえ、タイトルにも掲げられた「断謝離」を見て「字が間違っている」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 一般的に使われている「断捨離」とは、「捨」の字が違っているからです。

いわゆる「断捨離」は、不要な物を断ち、不要な物を捨て、物への執着から離れることだが、本書の「断謝離」は、申し出や誘いを断り、人に謝り、人や物から離れる(別れる)ことを指している。

日本を代表する文豪たちがどう断り、謝り、別れを書き残してきたのかを探ってみようという試みだ。(「まえがき 文豪たちの『すっぴん』が見える書簡の数々」より)

しかも特徴的なのは、その大半を文豪たちの作品ではなく、彼らの書簡(手紙)から選んでいる点。作品はその作家を象徴する「外向けの顔」ですが、あくまでも内側に向けられたこちらは、いわば「すっぴん」。

だからこそ、必ずしもかっこいいとは限らない彼らの本性が浮き彫りになってくるわけです。

さまざまな文豪の“ガチ謝罪の手紙”を集めた第七章「謝『ぐうの音も出ない……』 土下座の何倍も響く本気の謝罪」のなかから、いくつかをピックアップしてみましょう。

【坂口安吾】みんな呑んでしまった

1936(昭和11)年9月30日 隠岐和一あて

拝啓 貴兄から借りたお金返さねばならないと思つて要心してゐたのですが、ゆうべ原稿料を受取ると友達と会ひみんな呑んでしまひ、今月お返しできなくなりました。大変悲しくなりましたが、どうぞかんべんして下さい。 小生こんど競馬をやらうかと思つてゐますよ。近況御知らせまで。

安吾

和一兄 (218〜219ページより)

借りたお金を返さなければと思いながら、原稿料が入ったその日のうちに飲んで散財してしまったため返せなくなったーー。

いかにも安吾らしくはありますが、「大変悲しくなりました」と他人事のように書いているあたりがなんとも……。現代であれば、SNSで拡散されて大炎上しそうです。

なお、この手紙の受け取り手である隠岐和一は、安居の飲み友だちでもあった小説家、編集者。1937年には、長編執筆に専念したいという安吾を京都の別宅に呼び、原稿用紙の手配から金策まで、大いに世話を焼いたそうです。(218ページより)

【谷崎潤一郎】とても筆が執れません

1930(昭和5)年8月24日 小倉敬二あて

先日は失禮いたしました。 さて『乱菊物語』も﹅少し書きたいと思ひ、昨日までハその氣でをりましたが、事件以來訪客多く、私自身は何の煩悶もないのですが、周囲の空氣のために心おちつかず、とても筆が執れませんので、いつそ一昨日の分、即ち百四十回にて一と先づ前篇終りといふやうな体裁にして頂けますまいか。

さうすると火曜日を以って完了となりますので、アトの原稿の都合もありませうと存じ、今夜御宅まで使さし上げます。巳むを得なけれバもう少しは書きますが、ここで又書くと五六回以上にしなけれバキリがわるいのです。

明廿五日午前中ハ約束があつて出られませんので、兎に角、午後一二時頃社へうかがひます。 原稿料ハまだ百円ほど債務が残るかと存じます。この事につきても改めて御願ひあり詳細ハ拝顔申述ます。  八月廿四日夜

谷崎潤一郎 小倉様 侍史 (227〜228ページより)

担当の新聞記者へ宛てた手紙。「心が落ち着かない」ことを周囲の空気のせいにし、「とても筆が執れません」と訴えています。

そこまではいいとしても、そこに続くは「だから一昨日に入稿した140回で前編終わりということにしてくれないかとの願い。

「そんなんでいいのか?」とツッコミを入れたくもなりますが、文豪だからこそ許されたのかもしれません。(227ページより)

【中原中也】怠けてゐることが十分勉強

1933(昭和8)年1月12日 安原喜弘あて

郵便で御免下さい。怠けてゐます。益々なまけたくあります。何分、本で覚えたことだつて僅かですが、実際で覚えたことは尚更僅かですので、かうして怠けてゐることが十分勉強となるのです。でもまあ学校の出席だけは、することにしてゐます。

先日の煎薬は仙女湯と申し、下谷区谷中初音町四丁目一四二、泉栄堂で売つてをります。

御退屈の時はお呼び下され度、十四日は桜の園を見にゆきます。(荏原三、二六八 枡札) (228〜229ページより)

歌人の安原喜弘に宛てた手紙。ふたりは親交が深く、中也から安原に送られた書簡は100通を超えるそうです。

それにしても「怠けています」と開きなおり、「ますます怠けたくなります」と開きなおりを加速させる大胆さ。

さらに、「こうして怠けていることが勉強になるのだ」とまでいわれたら、開いた口も塞がらなくなってしまうのではないでしょうか。(228ページより)

名のある文豪には、それぞれ強烈なイメージが備わっています。本書で紹介されている書簡のなかには、そのイメージどおりのものもあるでしょう。

しかしその一方、広まっているイメージとは正反対ものものあるはず。だからこそ、いろいろな意味で興味深いのです。肩の力を抜いて、ぱらぱらとページをめくってみてはいかがでしょうか?

Source: 秀和システム

メディアジーン lifehacker
2021年6月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク