時事ネタという「悪文」が愚直な視点で見事な作品に
[レビュアー] 小田嶋隆(コラムニスト)
「難解な可読性」という言い方は奇妙かもしれない。でも、実際に読みやすい一方で読みづらいのだから仕方がない。読んでいる間は、そこいらへんの雑誌コラムや新聞記事とは別次元の知的負荷を強いられる。でも、読了してみると、すんなり読み終えた充実感が残っている。
この不可思議な読後感は、おそらく、本書が文芸誌(『文學界』)に連載された文章の集成であることと関連している。なんというのか、高い読解力を持った想定読者層に向けた文章ならではの可読性と難解さを兼ね備えているのだ。
といって、文芸愛好家向けのひねこびた読解がひけらかされているのではない。むしろ、本書の中で武田は、びっくりするほど愚直に世界を読解している。
本書に収録されている2016年から20年までの5年間の時事問題を扱った40篇ほどのコラムは、どれもこれも正攻法の論理で丁寧に記述されている。
ふつうに考えて、アベスガ両政権のもとでのモリカケ桜からコロナオリパラに至る愚にもつかない一連の流れを、まっすぐに読み解く泥んこ仕事は、知的な人間がこなすべき作業ではない。この5年間、時事ネタをいじくりまわさねばならなかった書き手が味わった嫌悪感の巨大さは並大抵のものでないはずだ。日々の事件を追う人間の文章は、必ずや荒れた文体に着地する。というよりも、愚劣な人物や事象を処理するにあたって、粗雑な決めつけや短絡を発動せずにいることは、人並みの感情を持った人間にはほぼ不可能なミッションなのだ。
武田はそれをやってのけている。どうにも陋劣な出来事を処理しながら、激することなく、高飛車に構えたりもしない。口汚く罵ることも、居丈高に説教をカマすこともしない。あくまでも淡々と、昆虫を目の前にしたファーブルのような身構えで対象を観察している。
なんでも武田は、河出書房新社の社員編集者だった20代の頃、さる文学賞の応募作を大量に下読みする作業に従事していたのだという。してみると、武田は、その時代に、玉石混淆の文章を大量に読みこなしてきた人間にだけ身につく「悪文耐性」を獲得し得たのかもしれない。
今回、武田は、リアルな人間の足跡としてわれわれの世界に記録された時事ネタという「悪文」を、下読みしたうえで、見事な作品に仕上げている。
アタマの良い中学生が読むには絶好の世界案内になるはずだ。
世界の醜さに怯んでいるそんな子供たちに読んでほしい。