妻はパンツいっちょで目玉焼き? 素顔の“一家”がくれる無邪気な笑い
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
いまはとにかく笑いたい。嘲笑や失笑ではなく、明るく楽しく笑いたい。数年前までは、たとえばツイッターには罪のない大喜利的な笑いがたくさんあったのになあ。思うに、無邪気な笑いを提供するというのは、エネルギーも技術も、おおげさに言えば「覚悟」も必要とする、情熱的な行為だ。だから世の中に余力のないいま、無償でそれをできる人は減っているのだろう。寂しい。
そこで、無償でとは言わないから無邪気に大笑いできるものをいつも探しているのだが、この本はハートに刺さりました。初手から「笑ってくれ」という態度で作られた、そういう意味ではあざとい笑いかもしれない。でも制作の意図なんかどうだっていい。この笑いは「いい笑い」だと思うからである。
著者は写真家で、とても強い妻と、三人の男児と暮らしている。ときどき、夫婦の親や友だちの父など、キャラの立った人が登場する。日々の出来事を簡潔に記しただけの日録なのに、とてつもなく味が濃い。妻はパンツいっちょで目玉焼きをつくり、「どうしたん?」ときかれて「え? 着替えてる途中」と不機嫌。次男は抽選で当たった市の落語教室に通い、長男は自分から塾に行くと言い出して親を動揺させる。そしてなんと、四男の誕生。緊急事態宣言下、仕事の予定が一つもなく〈コロナのせいなのか、自分のせいなのか分からない〉著者。わかる、自由業みんな同じよ。
家族の写真も「素顔」すぎてしびれる。凄腕のカメラマンだ。これは昭和の子どもたちです、と言われたら納得してしまうレトロ感。撮影されたくない子どもは、「スシローで夕食」という交換条件を出すが、父は約束を守らないのだった。
生まれたばかりの小さな四男を、いつも長男がだいじそうにかかえている。わたしは長男くんのファンになった。おばちゃんがスシローに連れて行ったってもええで。