日本経済の現状変革には何が必要なのか――『変貌する日本のイノベーション・システム』編者が語る

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変貌する日本のイノベーション・システム

『変貌する日本のイノベーション・システム』

著者
鈴木 潤 [編集]/安田 聡子 [編集]/後藤 晃 [編集]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165786
発売日
2021/03/08
価格
4,620円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

日本経済の現状変革には何が必要なのか――『変貌する日本のイノベーション・システム』編者が語る

[レビュアー] 鈴木潤(政策研究大学院大学教授)

はじめに

 米国の経済学者ロバート・ゴードンが2012年に、米国の(世界の)経済成長は終わったのではないかという趣旨の論文を発表して話題になったことがある。一人当たりGDPの成長率は第2次産業革命の恩恵を受けた1920年頃がピークであり、人類の長い歴史上後にも先にもこのようなことは二度と起こらない。その後に生じたいかなるイノベーションも大したものではない、というのが彼の主張であった(ゴードンはその後、より詳しい内容を本にまとめて出版し、日本語にも翻訳されている)。

 これに関連して筆者が思い出したのが、1996年にジョン・ホーガンという科学ジャーナリストが書いた「科学の終焉」という本である。ホーガンは著名な科学者たちとのインタビューを基に、もはや科学には発見すべき偉大なテーマは何も残されていないという主張を展開した。

 ある視点やある分析枠組みによって測られる進歩が、終焉を迎えることはあるだろう。そして、新たな視点や価値基準での進化が始まる。このようなゲーム・チェンジは、イノベーション研究者の間では、クレイトン・クリステンセンが指摘した、「破壊的イノベーション」という概念で知られている。分析枠組みや価値基準が変わったとしても、一点、「変化し続けるものが生き残る」という事だけは変わらない。

 一時期、日本国内(いや、世界中でだろうか)では官民こぞって「イノベーション」の大合唱が喧しかった。テレビを付ければイノベーションをうたう企業の広告がひっきりなしに流れ、書店では書名にイノベーションを冠した本が並び、大学にもイノベーション関連の学部や講義が並び、政治家が演説の中で何回も言及し、という具合である。

 これは別に悪いことだとは思わないが、筆者の頭からは「これだけイノベーションが社会的に大きく取り上げられている割には日本ではイノベーションがあまりうまく行っていないのではないか」、という疑問が離れることはなかった。このブームは沈静化したようであるが、イノベーションが日本にとって死活的に重要であるという点は、昔も今も全く変わりのない事実であり、筆者の懸念もそのまま引きずっている。

 また、より最近では、日本人の間で「日本ってすごい」ブームが再燃しているようにも感じられる。「再燃」と書いたのは、およそ40年前にも気づいたら日本は世界第2位の経済大国になっており、世界中から称賛と羨望を浴びたことがあったからである。筆者には知る由はないが、第2次大戦前のアジアの盟主として日本が名乗りを上げた頃にも、同じような社会的高揚感があったのかもしれない。ただし、現在の「日本ってすごい」ブームはかなり内向きであり、日本人のおもてなしや職人芸、清潔好きや遠慮深さ、家族的な経営を行う企業など、失われつつあるものに対してのノスタルジーの一面も持っているように感じられる。筆者は願わくは、「日本のイノベーション力ってすごい」なんて言ってみたいのだが、そのためには客観的な事実やデータを集めてみる必要があるだろう。そして実際に集めてみた結果が本書としてまとめられている。

本書の目的と概要

 人間はニュースを見れば見るほど悲観的な思いを強く持ち、将来に不安を感じるようになるそうである。これは悪いニュースの方が高いニュースバリューを持ち、視聴者に必要とされるために、結果的にメディアの取り上げ方が悪いニュースに偏ってしまうのが一因だと説明されている。本書の内容も、このようなバイアスと無縁ではない。日本や世界の社会と環境は常に変化し続けており、イノベーションシステムもそれに適合するように変えていかなければならないため、本書では特に、何が、どのように変化し、どのような不適合があるのか、を明らかにするよう意識した。結果的に、日本のイノベーションシステムの悪い点や至らない点にフォーカスが当たることとなり、読者は悲観的な思いを持つかもしれない。しかし、それは将来に向けた改革のためのインプットであり重要なシーズなのである。そのような目で読者が読んでくれることを願っている。

 第I部の民間セクターについては、企業のイノベーション活動に関係が深い研究開発活動および雇用と経営に焦点を当て、それらが有している特徴とその効果および変化について概観した。企業の研究開発活動は、イノベーションの源泉として非常に重要である。もちろん、研究開発の成果がイノベーションへと直結するわけではないし、特にサービス産業などでは研究開発とは無関係に生じるイノベーションも多い。

 しかし、製造業においては、多くの企業が将来的な利益を期待する投資行為として、継続的に旺盛な研究開発活動を行っている。近年の問題は、この研究開発活動が売り上げや利益に結び付きにくくなっている、投資効率の悪化や内向きのマネジメントである。

 さらに、「日本的経営」の特徴とされる長期雇用と内部昇進という制度や、社内の人脈、社内教育訓練制度などが変化しており、それが従業員による企業業績への貢献意識や持続的イノベーションに及ぼす影響などを概観した。また、日本の開業率は主要先進国と比べて一貫して低いが、近年におけるベンチャー企業の役割の変化や、政策的な支援の増加などから、「日本型」ベンチャー創業の可能性や、大学発ベンチャーの存在感が近年高まってきていることを示した。

 第II部の大学セクターについては、長期的には高度人材に関する需要と供給のミスマッチが生じていることを述べた。さらに、ポスドク1万人計画、公務員定員削減や国立大学の法人化、運営費交付金の削減、研究費の選択と集中など、大学に関連する政策の迷走について概観した。その結果、若手研究者の処遇問題や大学院博士課程進学率の低下、学術論文の生産性の低迷、多様性の低下などの諸問題が表面化していることを示した。

 また、産業界との関わりについて「米国型産学連携」の日本への移植の過程を追い、どのような効果が生まれ、イノベーションシステムをどのように変容させているのかを確認した。そして、産学連携を担う研究人材の個人特性や活動にも注目し、大学での研究成果が産業界で活用されるまでのプロセスの変化を概観した。

 第III部の政府セクターについては、まず公的研究機関が日本のイノベーションで果たしてきた役割を1980年代から現代まで概観した。とくに通産省工業技術院の研究所は、大型国家プロジェクトを通して海外の先端技術の移植と実用化において中心的な役割を果たしてきたことと、その後の基礎研究シフト、そして再度の実用化研究指向への回帰などを概観した。さらに、地方自治体が運営する公設試験研究機関の役割とイノベーションへの貢献の変化についても述べた。

 次に、革新的製品・サービス群に対する公的需要と政府調達が、1980年代から現代までどのように変化し、イノベーションにどのような影響を及ぼしてきたのかを概観した。

 最後に、特許制度と独占禁止法という制度および政府の規制に光を当てて、制度とイノベーションの関係について概観した。1980年代以降、日本の制度は変化を遂げてはいるものの、既得権が強く影響して、イノベーションシステムにとって必要な制度の改革は緩慢なものだった。その間にも、他の先進諸国ではスピードを伴う改革が進んでいた。そして、このギャップが、日本のイノベーション停滞の一因である可能性を指摘した。

おわりに

 技術の変化や社会の変化はたゆみなく続いている。そして経済成長理論では、知識や人的資本の蓄積、社会のガバナンスの改善などが、一国の長期的な経済成長にとって重要であることが指摘されている。日本のイノベーションシステムは、成熟した市場と比較的安定した雇用や金融システム、蓄積された社会資本、基本的な高等教育の充実、社員の企業業績への貢献意識、政府による産業保護と育成策などを背景として、1980年代までの経済成長期にはうまく機能したことは事実である。その間にも徐々にではあるが、新しい技術や産業に対する資源(資金や人材)の再配分は行われていた。しかし一方では、急速な変化を拒み成功体験にとらわれた産業界及び政府セクターと、迷走を繰り返した大学セクターは、1990年代以降の技術と社会の大きな変化に対する対応力を欠いているように見受けられる。

 新しい技術や産業に対して、資源をどのように再配分し育てていくのか、イノベーションシステムを進化させるメカニズムそのものを再考し修正していくことが求められている。

 最後にもう一つ、昔の本を思い出した。日本のバブル経済の絶頂期に英国の経済ジャーナリストのビル・エモットが出版した、“The Sun Also Sets: The Limits to Japan’s Economic Power”という、日本の凋落を予言した本である。当時、日本が直面しつつあった諸変化(円高がもたらす過大な消費志向、高齢化と貯蓄率の低下、日本企業のグローバル化、など)の結果、19990年代以降の日本は徐々に普通の国になっていくだろうという見解を述べていた。

 この本の題名は、もちろんヘミングウェイの代表作の題名をもじったものである(著者自身が書いている)。しかし、ヘミングウェイの“The Sun Also Rises”も、もともと旧約聖書を引用したもので、「万物は限りなく無為な流転を繰り返す」ということを象徴する言葉なのだそうである。う~ん、深い。

有斐閣 書斎の窓
2021年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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