通史を通して対話を試みる――『日本政治史講義――通史と対話』を書き終えて

レビュー

6
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日本政治史講義

『日本政治史講義』

著者
御厨 貴 [著]/牧原 出 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784641149373
発売日
2021/05/25
価格
3,520円(税込)

書籍情報:openBD

通史を通して対話を試みる――『日本政治史講義――通史と対話』を書き終えて

[レビュアー] 御厨貴(東京大学先端科学技術研究センター客員教授)

「アドリブは論外である」

 政治史の学者たるもの、通史を生涯に一度はモノさねばと、今から半世紀近く前の駆け出しの助手の頃、よく説教されたものだ。近代政治史のごく一部を取り上げて助手論文を書かねばならぬ身に、これは遠い遠い先の話だと思えた。だが、通史を意識する時期は意外に早く訪れた。東京大学法学部で三谷太一郎先生の指導の下、3年間で助手論文を仕上げた私は、東京都立大学法学部への赴任が決まった。

 授業は昼と夜の2コマ、すぐにも担当することとなった。都立大移籍の日、三谷先生に呼び出された私は、講義にあたっての注意を受けた。「日本近代政治史の通史を目標として講義をせよ。法学部では特殊講義は認められない。必ず毎週講義ノートをきちっと作ってそれを読み上げよ。アドリブは論外である。冗談を言う場合もノートに記せ」。

 これは大変なことになった。正直、こんなことは無理だと思った。でも、確かに三谷先生はご自身の「日本政治外交史」の講義では、明治維新から日露戦争までをノートに即して音吐朗々と読み上げていた。定年までに少しずつ範囲を広げ、確か定年の頃には日米開戦にまでたどり着いた記憶がある。

 「毎年、内容を入れ替えることになるから、ノートはルーズリーフ型にせよ」と言われた頃には、目の前が真っ暗になっていた。それでも善は急げと言うではないか。法学部研究室を出ると、まっすぐ生協販売部に向かい、黒い表紙のルーズリーフ型ノートを購入したのである。都立大に赴任してから半年後、講義が開始された。都立大は少人数講義だと聞いていたのだが、中程度の広さの教室に学生がぎっしり詰まっている。新米教師の品定めと聞いた。教室に入ったら90分を自らの講義で持たせねばならない。そう思ったら、ぞっとした。

ドタバタの初講義

 かくて沈黙に耐えられぬのは学生ではない。教壇に立つ教師なのだ。明治維新から1930年代までを範囲と決め、諸先輩諸先生方の著書・論文からの抜き書きをノートに書きつけては、毎週、機関銃を撃つが如くしゃべりまくった。学生たちを見ぬように、上に上にと首を上げる。沈黙がこわいから、ハーハーゼーゼー息切れを伴いながらも、しゃべりまくる。時に板書も重要と言われたが、黒板にむかい学生に後ろを見せるのが恐怖だった。板書する文字が間違ってやしないかとヒヤヒヤするし、学生のザワザワする動きが我が講義に対する非難かつ批判のように聞こえる。若い教師が学生たちの私語に対して、時にヒステリックに、今ならパワハラまがいの表現をもって怒鳴りつけるのは、学生を悪いと思ってのことでは決してない。自らの貧弱な講義が学生のザワザワ感を生じさせている、その自分自身の不甲斐なさ故なのである。

 だから講義が終わると、悠長に板書を消したり教壇に佇んでいたりはしない。脱兎の如く出口へ向けて走り出し、学生たちをかきわけ、研究室に逃げ帰るのだ。学生たちが教壇近くまで来るのを避けて。被害妄想に陥っている新米教師は、学生の質問を我が講義に対する不満と批判に相違ないと信じ込んで、学生を粗略に扱う。「授業の中でちゃんと言いました」「そのくらいの質問は自分で調べればわかります」……。およそ不適切な言葉を上から目線でケンカでもするかのように投げかけ、逃げろや逃げろで通す。

 時間内にどれほどの分量のノートが必要か。いつも用意しすぎだった。ただ予習のノート作りも終盤になると疲れもあり、いい加減な記述になっているので、ちょうどその前で終えられてよかったと安堵した覚えがある。あの頃の都立大は昼夜開講制で、昼夜2コマ同じ講義をすることになっていた。しかし夜は人数が少ないうえに、昼にもたもたしゃべった分、夜は筋の通りはよくなるのだが、ノート切れも早くなる。そこで、ノートの切れ目は講義の切れ目とばかり、さっさと研究室に引き揚げたものだった。

 こうしてドタバタの初講義の1年は過ぎていった。私自身、今でも赤面する初講義を聞いた学生の中から、私と同じ政治史を専攻する学者第1号が出たのだから、世の中はわからない。

試行錯誤の日々

 さて、私はこの1年間だけで通史をめざす講義方式を投げうった。やはり慣れないことはするものではない。毎年、試行錯誤でこれと思うやり方でいこうと決めたのだ。ある年は1930年代から遡る方式をとった。ある年は井上馨に焦点をあてて明治政治史に広げた。ある年は馬場恒吾を中心に取り上げ昭和政治史の構造に迫った。つまり、そのとき自分が関心をもち研究対象としているテーマの追究を中心にしながら、通史的考察と結び付ける形にしたのだ。かくて黒のルーズリーフ型ノートは徐々に入れかえが少なくなり、次第に利用もされなくなった。

 毎回、数枚のレジュメと論文や資料のコピーをもって講義に向かうようになる。学生に向けてしゃべる行為の中で、それまで結び付かなかった論点が意外にも相互に引き合うように共鳴する経験が私を興奮させた。そんな中でアドリブも厭わなくなった。だが教師にとっての夢の体験は決して学生にとっての心地よい講義にはならなかった。講義が白熱してくるにつれて、本人には行く先はわかっているものの、学生にしてみれば当初の目標から大きくズレて、どこにいるかがわからなくなるからだ。学生の講義評価に「面白いのだけれど、どこに連れていかれるか不安な講義」とズバリ書かれたことは忘れられない。

映像の世界に飛び込んで

 1990年代アメリカ留学を終え、都立大が南大沢に移ってからは、すばらしい視聴覚教室ができたので、夜の講義は視聴覚教材を用い、それについて私がしゃべり、学生が応答する形に変えた。教材もまた私自身が開発したものが中心となっていく。昼は旧態依然の講義スタイルであったが、受講数は夜が圧倒的に増えるという逆転現象が起こった。

 都立大在職20年。新設の政策研究大学院大学、次いで東京大学先端科学技術研究センターと勤め先を変えた。いずれも法学部ではなく、日本政治史の講義からも解放された。しかし何の因果か、出版されたばかりの私の『明治国家の完成 1890~1905』(日本の近代3)(中央公論新社、2001年。現在は中公文庫)を読んだ放送大学の天川晃先生から、「あの本はテレビ的よ」「今度、放送大学の放送授業(テレビ科目)で日本政治史を作るからぜひ!」との誘いに乗ってしまった。今度は教養学部の日本政治史である。しかも天川先生、のちには牧原出先生と、必ずしも日本政治史専攻ではなく、行政学や政治学といった隣接分野を専攻する方々と共同作業を進めていく。印刷教材に加え放送教材も作成しなければならず、放送のプロフェッショナルであるディレクター達との共同作業にもなっていく。一人の専門学者が一生をかけて作り上げる「一輪咲いても花は花」というやり方に対して、共同作業で進めるやり方がクローズアップされた。あわせて3回、この作業にかかわったが、ロケ撮影はとても刺激的で、歴史を見る眼を広げ深めることともなった。また昔のNHKのニュース映像に当たるのも新鮮な感覚を芽生えさせ、あらためて時代性を会得することになった。2002年から16年までの、この放送大学における「日本政治史」印刷教材および放送教材の共同編集の経験を生かし、最終的に「通史と対話」のスタイルで仕上げたものが『日本政治史講義――通史と対話』になる。

本書の特徴と今後の野望

 本書の各章は、書き言葉で歴史の大筋をたどる「通史編」と、話し言葉で歴史の多様性や匂いを伝える「対話編」から構成される。特に放送教材を文字化し補訂を加えた「対話編」は、「通史編」とのセットによって、日本政治史を立体的に描くための重要な仕掛けとなっている。私も共著者の牧原先生も、長くオーラル・ヒストリー研究に携わっており、歴史へのアプローチを共有している。だからこそ共同作業を行うことができた。

 同時に、共同著作のやり方をとったことによって、「戦前・戦後」の壁を突破することに遂に成功した。これまでの日本政治史は、明治維新に始まり、どんなに頑張っても十五年戦争まで来るのがやっとであり、戦前史は充実しているのだが、戦後史は申し訳程度の記述しかなされていないことが多かった。この半世紀の間、戦後史は質量ともにどんどん増えるのに、なかなか「戦前・戦後」の壁が突破できなかった。放送大学で教材作りを共同でやっていくうちに、この壁は「ベルリンの壁」よりも平和裡に突破することが可能となった。もっとも、「戦後」といってもこれまでは昭和の終焉あたりが目一杯であったものを、放送大学での3回の編集作業と今回の編集作業を経て、平成、そして令和までたどりつくという快挙を遂げることに成功する。したがって、本書は、全16章のうち、「戦前」が5章、「戦後(昭和)」が6章、「戦後(平成)」が4章という構成になっている。近代150年を歴史の文脈の中で理解するとともに、歴史のもつ襞を感じられるように工夫したつもりである。

 時代は大きく変わった。「生涯一人一通史」の時代から、今や「共同著作一通史&多様な対話」の時代への転換を示している。実は、今しばらく歳月が経ったら、本書の補足追加分を何らかの形で作りたいとの野望がある。年鑑のようなタイプも一つありうるだろう。場合によってはYouTubeを駆使して、御厨+牧原+αによる映像的展開もあるかもしれない。都立大を辞めるとき、文章半分、映像半分のテキストをいずれ作りたいと与太を飛ばしていたら、あれから20年、ものの見事にそれが実現したのだから、デカイ口は叩いておくものだ。

 テクノロジーの発展は、最も古典的な歴史表現の世界さえも変えてしまう。更なる革新の可能性を考慮に入れながら、まずは今回の共同著作の完成を喜びたい。あの初講義の年、携えていた黒のルーズリーフ型ノートは、今も私の書斎のどこかに眠っているはずだ。忘れないうちに掘り出して再会の喜びに浸りたいものである。

有斐閣 書斎の窓
2021年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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