戦後日本の雇用関係・社会的不平等の特質とその変化に迫る

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

雇用関係と社会的不平等

『雇用関係と社会的不平等』

著者
今井 順 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174580
発売日
2021/01/20
価格
5,940円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

戦後日本の雇用関係・社会的不平等の特質とその変化に迫る

[レビュアー] 竹ノ下弘久(慶應義塾大学法学部教授)

社会階層論における雇用関係

 2000年代以降の現代社会において、人々の格差・不平等問題への関心は高く、不平等にかかわる事象は、政治的にも重要な争点として扱われてきた。ひとり親家族や子どもの貧困問題、ホームレスの人たちをめぐる様々な窮状、最近ではコロナ禍に伴うサービス・セクターでの休業、失業、会社の倒産と生活困窮などが、連日のように報じられている。

 格差・不平等問題に対する社会的関心の高まりを生み出した一つに、90年代後半以降に顕著となった非正規雇用の増加と貧困層の拡大がある。評者のように、統計データを用いた実証分析を行う階層研究者も、不平等を構成する重要な次元として、正規・非正規の格差に注目した。正規・非正規の格差を階層論の視点から理論化する上で重要な概念が、本書が重視する「雇用関係」である。評者自身は、大学院生の時の授業で、エリクソンとゴールドソープらによる『Constant Flux』を購読し、雇用関係を階級理論の視点から考え始めた。本書は、雇用関係をゴールドソープらの階級理論にとどまらず、経済社会学と新制度論の視点から理論的に位置づけ、本格的な考察と検討を行う。

 評者は、本書の著者である今井順氏が東北大学不平等教育研究拠点に着任後、同拠点のセンター長を務めていた佐藤嘉倫氏が主宰する研究会で、今井氏を個人的に知る機会を得た。研究会などで、今井氏の研究を拝聴し、その後は、今井氏が英語で刊行した論文や著書にふれることで、従来の日本の不平等研究に不足していた理論的な着眼点について、多くを学んだ。

 とりわけ、今井氏の著作の多くが英語で刊行され、評者も英語で論文を書く際には、今井氏の研究成果に依拠して日本の不平等構造の説明を行ってきた。このたび、10年前に刊行された英語での著書(The transformation of Japanese employment relations)に続き、日本語でも今井氏の研究が有斐閣で刊行され、日本の読者に届けられたことは、日本の不平等研究にとってとても喜ばしいことである。以下では本書の構成、本書の意義と今後の不平等研究に向けた展望について考察する。

本書の構成

 本書は、全9章を4部構成としている。第1章は、本書全体に通底する理論枠組みを提示する。本書の重要な焦点が、雇用関係と不平等の形成である。雇用関係の形成を分析するために、本書は、産業的シティズンシップと新制度論が提起する理論枠組みを用いる。前者については、マーシャルらの議論にもとづき、労働組合運動による市民権の擁護と拡張の運動が、賃金、生活水準、社会的権利の形成に大きく貢献したと論じる。政府、労働者代表(労働組合)、使用者代表(経営者団体)という三者の交渉のあり方が、労働契約や雇用関係だけでなく、各国の不平等構造を形成してきた。著者は、産業的シティズンシップの理論により、雇用関係の形成にシティズンシップの観念のあり方が大きく関与するという視点を提示する。

 次に著者は、経済社会学と新制度論の視点から、雇用関係を「契約/努力」と「移動」という側面から検討することの重要性を論じる。職場における労働過程を分析する際、使用者と労働者との間の契約だけでなく、実際に職場の中でどのように労働が実現しているかを分析するため、契約と努力の両側面から検討が行われる。移動では、労働者の雇用という空間においてどのような移動が実現できているかに注目する。雇用関係の諸側面に加えて、著者は新制度論の視点から、次の3つの制度の柱に着目する。それらは、統制/調整を行う公式規範(法・政策)、採用・解雇など組織レベルで実践されている非公式の規範、人々の「日常生活の常識」として自明視されている文化/認知である。雇用関係の諸側面と雇用関係を支える制度の柱をクロスさせることで、本書が対象とする分析の理論的視座を提示する。

 第2章では、戦後の日本的雇用関係の形成過程を先行研究にもとづき概観する。著者は、日本的雇用関係の形成を、産業的シティズンシップの観点から、企業別シティズンシップの形成として位置づけることで、日本の雇用関係を特徴づける。

 続く第2部では第3章と第4章を中心に、1990年代から2000年代以降の正規雇用と非正規雇用の分断過程について、主として政府、労働者代表、使用者代表における雇用の規制緩和をめぐる交渉過程にもとづき明らかにする。

 第3章では、労働市場の規制緩和が、労働市場の分断と階層化、組織レベルでの雇用慣行にどのような影響を及ぼしたかが、様々な資料をもとに論じられる。とりわけ、非正規雇用の拡大と正規と非正規との間にどのような不平等が形成され、当然視されたかが論じられる。

 第4章では、2000年代中盤以降に本格化した格差・不平等を是正しようとする動向が、具体的にどのような影響を及ぼしたかが注目される。そうした検討によって、著者は、非正規雇用をめぐる不平等や問題の是正がかえって、日本の正規雇用が前提とする男性稼ぎ主モデルをはじめ、企業別シティズンシップの枠組みを追認し、強化することにつながると述べ、興味深い論点を提示する。

 第5章では、著者自らが、中小企業で非正規労働者として働く男性を対象に量的、質的調査を実施し、それらの調査結果に依拠して、男性非正規労働者の意味世界に接近する。非正規男性が、企業別シティズンシップによって構築された会社人間、サラリーマン男性性というイデオロギーにどう対峙し、どのような交渉を行うかが注目される。

 第3部では、正規雇用管理の厳格化と題し、企業別シティズンシップの論理によって正規雇用内部でさらなる階層化と分断化がどのように進行してきたかが論じられる。正規雇用内部の階層化を論じるために、著者は職場における労働の実現に重要な「努力」とその管理と規制のあり方に注目する。

 第6章では、裁量労働制を中心とした労働時間の規制緩和が、労働者の努力とその管理にどう影響し、正規雇用内部の階層化にどう影響したかが考察される。

 第7章では、特定の企業における成果主義労務管理制度の導入事例に注目し、これまでの職場における評価基準が、労働者の努力の実践にどう関わってきたか、そうした評価の変化は、労働者の努力の統制や管理にどう影響し、さらなる正規雇用内部の階層化と分断化をどのようにもたらしたかが論じられる。

 第8章では、近年注目されている「限定正社員」という新たなカテゴリーの登場と、正規雇用の多様化が正規雇用のさらなる階層化と分断をどのようにもたらしているかが検討される。著者は、企業別シティズンシップの観点から、企業が正規雇用者に義務として要求するフレキシビリティを発揮(長時間労働、転居を伴う転勤など)できない労働者を対象とした新たな雇用関係が、「限定正社員」というカテゴリーとして生成されたと論じる。ここでも、企業別シティズンシップの論理が、限定正社員カテゴリーの生成に大きな役割を果たしていることを、著者は明示する。

 最後の第4部では結論として、企業別シティズンシップと日本的雇用関係がこの間、どう変化し、それらが近年の不平等や排除の変化とどう結びついているかが議論される。本書が大きな焦点とした、正規雇用と非正規雇用との格差とその拡大、正規雇用内部の階層化と分断が、いずれも企業別シティズンシップの論理にもとづいて解釈され、正当化されてきたことが明らかにされる。

本書の意義

 評者が考える本書の最も大きな意義は、しっかりとした理論枠組みを用いて、一貫した論理で戦後日本の雇用関係と社会的不平等の特質とその変化を明らかにした点にある。マーシャルらの産業的シティズンシップ、ニール・フリッグスタインやポール・ディマジオらの経済社会学と新制度論を用いて、社会的不平等を形成する重要な要因である雇用関係を企業別シティズンシップの観点から、その論理と変化を描くことで、読者は日本社会における不平等の特質について多くの洞察と示唆を得ることができる。

 著者自身も論じるように、新制度論を用いることで、法や政策といった公式規範だけでなく、職場レベルでの慣行や実践といった非公式規範や人々の認識枠組みにも、分析の視野を拡張し、非常に説得的である。本書を読むことで、読者は、分析や考察のための理論枠組みの重要性だけでなく、理論枠組みや概念を現実に当てはめて考えるときの修正方法や理論にもとづく研究全体の構成の仕方など、社会学的研究を理論にもとづいて進めるための非常にわかりやすい実例を学ぶことができるだろう。その点でも、本書は社会階層と不平等研究者、労働、雇用、産業に関心を持つ研究者や学生だけでなく、この分野にとどまらない多くの学生や研究者に読んでいただきたい一冊となっている。

 雇用関係は、カール・マルクス以来の階級・階層論が考える社会的不平等の中核的な要素である。社会的不平等についての研究の多くは、質問紙を用いた全国規模の社会調査や政府が実施する大規模な公的統計を用いて、研究を行ってきた。しかしながらこれらの統計データを用いた実証研究は、特定の社会的地位の存在を前提に、地位間での格差や不平等とその変化を明らかにすることはできるものの、そうした社会的地位そのものが構築されていく政治的、経済的な過程を十分には明らかにすることができていなかった。

 今井氏の研究では、統計データ、インタビュー、審議会の記録など、様々なデータや資料に依拠してこの問題にアプローチしており、統計データに大きく依拠する不平等研究とはその理論的な射程において一線を画している。様々なデータと資料を駆使することで、著者が新制度論の視点から考察対象として重視した職場での慣習や実践といった非公式規範や人々の認識枠組みといった制度の構成要素に分析範囲を拡張し、現状を記述し考察することが可能となった。こうした点でも、評者だけでなく多くの読者にとって学ぶことの多い研究である。

今後の不平等研究に向けた展望

 著者は、第9章で本書の限界と今後の課題について論じる。著者は、本書の限界の一つとして、「多様性が作り出す一貫したメカニズムには着目したが、多様性が持つ変化へのインパクトを過小評価している」と述べる。評者自身も、第3部を読みながらこの点が特に気になった。なぜなら著者は、第3部で労働時間、評価、正規雇用の多様化という観点から、近年の正規雇用の変化を論じているものの、その内実は、企業別シティズンシップの観念や論理が、近年においてもいかに強固に持続しているかを明示するものであった。こうした論調は、もちろん現実の正規雇用の変化を丹念に描いた結果とも言えるが、その一方で、本書が第1部で設定した理論枠組みも大きく関係しているのではないだろうか。

 本書が第1章で構築した理論枠組みは、日本の雇用関係の特徴を経験的に検討し、分析するうえでその有効性を発揮するものの、雇用関係を支える制度の変化を予測し考察する理論枠組みとしては十分に提示されていない。評者もまた、日本の不平等の特徴を他国と比較しながら制度の観点から検討することに関心を持っている。新制度論は、グローバル化、産業構造の変化、技術革新など、国家を越えてグローバルに展開する社会変動の諸力の中にあっても、各国の歴史的に特有な経過の中で出現し、定着した制度の持続性を強調する傾向があり、本書もまた、そうした研究群の中に位置づけられる。

 以上の考察からは、制度のダイナミックな変化を対象とし、分析することの可能な新制度論の立場からの新たな理論枠組みの開発と展開が、強く期待される。日本社会を対象とする不平等研究者は、雇用関係の現実と変化を分析することで、制度の変化を捉えるための新たな理論枠組みの開発が求められるだろう。

 本書は、産業別シティズンシップ、経済社会学と新制度論の視点から、日本社会における雇用関係と社会的不平等の変化と強固な持続性を理論的、実証的に明らかにする優れた作品である。日本社会を対象とした実証的な検討から、他の社会にも応用可能なさらなる理論的な展開を、今後の研究に強く期待したい。

有斐閣 書斎の窓
2021年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク