「明日の分もやっちゃおう」は真面目どころか怠け者のセリフ 現代人の理解を超えた室町時代の勤労観

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室町は今日もハードボイルド

『室町は今日もハードボイルド』

著者
清水 克行 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103541615
発売日
2021/06/17
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

だらだら、チンタラ、室町人にまなぶ仕事術

[レビュアー] 清水克行(日本史学者・明治大教授)

清水克行・評「だらだら、チンタラ、室町人にまなぶ仕事術」

中世の人びとの自由すぎる生態を紹介した著書『室町は今日もハードボイルド』を刊行した清水克行氏が、室町人の「働き方」を解説。働きすぎの現代人とはひと味違う彼らの勤労観とは――。

 ***

 来る日も来る日も仕事ばかり……。ひとつ片づけたら、また次の仕事が待っている。しかも、この作業が世の中の役に立っているのかどうか、さっぱり実感がない。あぁ、いつになったら、この仕事の山から抜け出せるのやら……。

 昨今では「仕事があるだけマシではないか」というご意見もあろうが、それにしても渦中の人にとっては、深刻な問題である。現代の多くの日本人は、つねに忙(せわ)しなく仕事に追い立てられている。はたして遥か昔の日本人も、こんな悩みを抱えていたのだろうか?

のんびり座って働く

 鎌倉~室町時代に描かれた絵巻物などのなかには、職人や商人など、甲斐甲斐しく働いている人々の姿も多く描きこまれている。ところが、それらをよく見ると、ある不思議な事実に気づく。みんな、のんびり座りながら仕事をしているのである。大工は地べたに完全に腰を下ろして、材木の採寸や加工をしているし、物売りもゴザをしいた上に胡坐(あぐら)をかいて、呼び売りをしている。

 同じような場面を江戸時代の浮世絵で探してみると、大工はみな立ち上がって片肌を脱いで、汗を流しながら材木に鉋(かんな)をかけているし、物売りも「さあさ、お立合い!」とばかりに、直立して売り口上を唱えている。

 このことに気づいた日本中世史家の桜井英治さんは、他に大工たちの遅刻、早退、部材の着服を戒めた当時の掟が多く残存していることなども合わせて、中世の職人・商人は、かなり「のらりくらりとした暢気な仕事ぶり」だったのではないか、と推測している(「中世の技術と労働」、『岩波講座日本歴史9』所収)。

働き方が品質に直結

 こうした中世の人たちの悠長な仕事ぶりは、当然ながら当時の技術レベルにも大きな影響をあたえずにはおかなかった。たとえば、現存する江戸時代の和紙は大ぶりで繊維が均質であるのに対して、中世の和紙はそれよりも小さく、繊維も不揃いなのだという。これは、当時の紙漉き職人たちが座りながら仕事をしていたため、らしい(藤本孝一「紙漉と古文書」、湯山賢一編『古文書料紙論叢』所収)。

 紙漉きは、紙の原料となる繊維の入った液体を漉き舟のなかに満たして、そこに漉き桁(長方形の簀の子)をくぐらせて、すくい上げる作業の繰り返しとなる。このとき地べたに胡坐をかいて作業をする中世の紙漉きでは、漉き舟のなかで漉き桁を大きく動かすことができず、自然、できあがった和紙は大判にはならず、繊維の塊もできやすい。

 ところが、江戸時代になると、紙漉き職人は椅子に腰かけたり、立って仕事をするようになったので、ダイナミックに漉き桁を動かすことができ、大判で繊維の均質な和紙を量産できるようになったのである。

「怠け」には二種類あった

 中世の日本人は、私たちのような仕事中毒どころか、いたって怠惰な人たちだったのだ。

 ところが、彼らは、それはそれで良いと考えていたふしがある。中世には「懶惰(らんだ)」と「懈怠(けたい)」という言葉がある。これは、どちらも現代でいう「怠け」や「不精(ぶしょう)」を意味する。ところが、この二つの言葉、厳密には微妙に意味が異なっていた。『科註妙法蓮華経抄』という戦国時代の終わりに書かれた経典の注釈書のなかには、次のような説明が見える(佐竹昭広『古語雑談』参照)。

明日の所作を今日なすを懶惰といひ、今日の所作を明日なすを懈怠といふ也。

 今日やるべきことを明日にまわすのが懈怠であり、明日やるべきことを今日やってしまうことを懶惰という。ただ、今日の仕事を明日に先延ばしすることが「怠け」であるというのはわかるにしても、明日の仕事を今日先回りして片づけてしまうことの、どこが「怠け」なのだろう。むしろ、それは勤勉なのではないのか。

 しかし、どうやら、そこには中世人なりの深い勤労観があったようだ。

室町的ワークライフバランス

 仕事と家庭と趣味と、一日一日、やるべきことは決まっている。そのなかで着実に仕事をするのは大事である。しかし、その割合を乱してまで仕事を前倒ししていくのは、それはそれで不精な心根のなせる業ではないか。その日その日を充実して生きていない、と言い換えることもできるだろう。

 夏休みの宿題ドリルや絵日記を八月下旬になって慌てて片づけるのも「怠け」だが、七月下旬に早々に片づけてしまうのも、別の意味で「怠け」なのである。そんなに急いで、どこへ行く? 現代の私たちの日々に追われる生活を見て、中世の人びとなら、そう言うかも知れない。

 人間は、もっと自由なはずだ。中世の人びとの世界に触れることで、私たちは、あるべき本来の姿を取り戻すことができるのではないだろうか。新著『室町は今日もハードボイルド』では、そんな中世の人びとの自由すぎる生態を紹介してみた。慌ただしい現代を生きる人たちの解毒剤となれば、幸いである。

(しみず・かつゆき 明治大学教授)

新潮社 波
2021年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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