不寛容な時代の「解毒剤」無茶苦茶な室町時代から見えてくるもの 光浦靖子が歴史学者・清水克行と語る

対談・鼎談

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光浦靖子×清水克行 フリーダムな室町時代に憧れて/『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』刊行記念対談

[文] 新潮社


光浦靖子さん

現代の日本は生きづらい社会なのか? では昔はどうだったのか?

歴史解釈の持つ多様性に興味を惹かれて研究者になった清水克行さんと、コロナ禍で留学の夢を断念し、現代日本の生きづらさをリアルに抱える光浦靖子さん。研究者と芸人という他分野のお二人が、独自の規範に基づいて生活していた室町時代の価値観に触れながら、複雑なカルチャーとイシューを抱える現代社会に対する捉え方を語り合いました。

今回は、「日本人像」を根底から覆す時代考察をまとめた清水克行さんの新刊『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』の刊行を記念して、小説誌「小説新潮」(2021年7月号)誌上で行われた対談を全文公開します。

無茶苦茶に生きてた室町人

清水 ご無沙汰しています。以前、知恵泉(編集部注:NHKの歴史番組「先人たちの底力 知恵泉」)で何度かご一緒させていただきまして、それ以来ですよね。

光浦 そうそう! 知恵泉でも、お正月のスペシャル番組でもお目にかかりました。

清水 その節はずいぶん助けていただいて、お世話になりました。今回、新刊の刊行記念対談でどなたとお話ししたいですか、と編集者さんから相談を受けて、光浦さんだったら安心してお話しできると思って来ていただきました。本当にありがとうございます。

光浦 いえいえとんでもない。『室町は今日もハードボイルド』拝読しました。すごく面白かったです。室町時代ってほんと無茶苦茶な時代だったんですね(笑)。でも当時はその無茶苦茶さが普通だったんですよね。

清水 嬉しいご感想です。ありがとうございます。

光浦 私、清水先生にはそのことをぜひ声高に言っていただきたいです。時代が変わるんだから、常識が変わるのも当然ですよね。昔の発言やエピソードを引っ張り出して、今の常識に照らし合わせるとおかしいと非難したり、昔話してたことと整合性が取れてない、昔と意見が違うと言ったりするじゃないですか。言われる立場からすると厳しいなあ、生きづらいなあと感じます。

清水 キャンセルカルチャーというやつですね。アメリカを中心に、最近は日本でも社会問題になっています。SNSの普及によってキャンセルカルチャーが拡大されたとも言われていますね。

光浦 そう、それです。キャンセルカルチャーを否定はしてないんですが、行き過ぎたキャンセルカルチャーが……。

清水 でも、時代を超えて「やっぱり駄目でしょう」ということもあるから、ややこしいですよね。

光浦 そうなんですよね。

清水 長い間メディアの世界で生きていらっしゃる光浦さんは、一度発言したことが記録に残りやすいので、なおさら生きづらさを感じることが多いでしょう。こういう時代になったことの理由はいろいろあると思いますが、一つはコロナの影響もあるのかなと感じています。コロナ禍で生きづらい環境になって、みんなストレスを抱えている。だから、叩けるところを見つけるとみんなで叩いてしまうんですよね。

光浦 そう。『室町は今日もハードボイルド』を読むと、室町の人々なんてみんな、正義感に駆られてとんでもないことやってるじゃないですか。それがほんとに面白くって。

清水 そうですよね。どういうエピソードを気に入っていただけましたか?

光浦 たとえば第二話の「山賊・海賊のはなし びわ湖無差別殺傷事件」で紹介されていた、琵琶湖の海賊、兵庫の話とかびっくりしました。兵庫は、なんの罪もない旅人を十六人も殺してもなんとも思わなかったのに、息子が起こした事件の全貌を知った父親が責任を取って身代わりに切腹したら、それにはショックを受けて出家したとか。

清水 命の価値が釣り合ってないですよね。しかも、当時の人々はその話を、どんな悪人でも、出家すれば救済されるという、いい話として紹介しているんです。

光浦 第六話の「枡のはなし みんなちがって、みんないい」も、枡っていう計量器具すら大きさや容量がまちまちで、それでもみんな不自由を感じることなく生活していたということに驚きました。

清水 現代からすると、室町人のおおらかさにはびっくりさせられますよね。

光浦 そういうことを、みんな知らないといけないよなあと思いました。その時代に合った正しさというものがあるんだよって。当時はこれが正しいとみんなが信じていたことが、時代が変わると違ってくることは、昔から沢山あるんだよって教えてあげたい気持ちです。

室町人とヤンキーの共通点


清水克行さん

清水 そう。でも一方でその反対もあります。例えば、命に価値があるという考え方は、それなりに一貫してるんですよ。違う価値観が併存しているというのが面白いところですね。

光浦 命の話で興味深かったのは第十一話の「切腹のはなし アイツだけは許さない」です。命と引き換えに要求を通そうという発想には、本当に驚かされましたよ。

清水 室町時代の人々は、今の感覚からすると命を軽んじすぎていますよね。現代人は個人というものがすごく大事だと教えられています。だから一人一人の命を大事にする。でも、あの時代は個人というのはあくまで家の構成要素の一つなんです。人生の究極の目標は、親から受け継いだものを子に引き継ぐこと。命のバトンを渡すことなんです。

光浦 すごい。DNAを繋ぐことが何より大事なんですね。

清水 そう。だから、もし自分が死んでも家が守られるのなら、自分が犠牲になることもいとわないと考えてるんだと思います。命より大事なものは家と名誉。

光浦 名誉ね。

清水 彼らにとって家の名誉は何より大事です。例えば、公家とか身分の高い人たちが集まる会議があるとします。その会議では席次を巡ってみんな大人げない喧嘩をするんですよ。例えば、僕が光浦さんを出し抜いて上座に座りたい、上位になりたいと思うとするじゃないですか。僕は光浦さんに本当の会議のスタートよりも少し遅い、うその集合時間を教えるんです。

光浦 え……器が小さいですね。

清水 光浦さんが遅れて会議に着いた時には、いつもの自分の席に僕が座ってるんですよ。そういう時、昔の人はどうすると思いますか?

光浦 どうだろう。今の人だったら黙って空いてる席に座りますよね。

清水 そうですよね。でもそれは絶対やっちゃいけないことです。

光浦 なんで?

清水 下座に座ったら、その席次を認めたことになっちゃうんです。

光浦 今後ずっとその席になるということですか?

清水 そうです、位が下がってしまう。だから、何もせずにそこから真っすぐ家に帰るんです。その空間を共有しない。サボタージュして、会議を含めた儀式には今後一切参加しないというポーズを取ります。もしも下座に座ったら、その瞬間から自分の地位がライバルより下になりますし、最悪の場合、自分の息子もそこの地位を甘んじることになります。

光浦 息子の代にも影響するんですね。

清水 それは許し難いことなので、セレブな貴族ですら、そういう大人げないことをやる。

光浦 今から考えたら席次ごときで大人げないと思いますが、現代に置き換えたら席次どころではない、もっと違うことなんでしょうね。

清水 そうですね。独特な規範があるんです。

光浦 室町の人々って、昔のヤンキーに近いなって思いながら読みました。弱い子からはお金をたかってもいいけど、ヤンキー仲間が少しでも傷つけられたら命懸けで守ったり復讐したりする。そういうことが美徳とされてたヤンキーマンガとかヤンキードラマ、昔は色々ありましたよね。流行ってたからいくつか見ましたけど、自分たちのルールを一途に守ってるわけだから、個人としてはいいやつなんだけど、そのルール自体がなんかおかしくない? っていうの沢山ありました。

清水 ヤンキーとかヤクザの世界には、この室町の人々のメンタリティーが流れ込んでいるように思います。世界各地にこういう実態ってあるんですよ。プリミティブな社会の普遍性というか、いろんな文化を取り払うと最後に残る共通した要素なのかもしれません。


光浦靖子さんと清水克行さん

元カノVS新カノ?

光浦 あと第九話の「婚姻のはなし 女たちの復讐」も面白かったです。夫を奪った女性に対して妻や妻の友人たちが復讐する「後妻打ち」という風習にもびっくりしました。

清水 後妻打ちの話は、授業で学生たちに話しても必ず盛り上がるんですよ。

光浦 やっぱりそうですか(笑)。あの話を聞いた学生さんたちはどういう反応をされるんですか?

清水 特に女子学生の反応が大きいですね。昔の女性はうじうじしないで行動に移せたなんて、話を聞いただけでスカッとする。やってみたいという子が多いですね。

光浦 へえ……大学生にも複雑な人間関係があるんですね。

清水 複雑というより、人間関係が狭いんでしょうね。大学のサークルとかクラスとか、そういう少人数のコミュニティの中で、彼氏と別れたり、その彼氏がすぐに同じサークルの他の女の子と付き合ったりということが、年頃だからよくありますよね。でもなんだか元カノの方が居づらくなっちゃって、身を引いてサークルをやめる、みたいなことがよく起こっているんだと思います。そういう泣き寝入りみたいなじめっとした行動を取るよりは、元カノの仲間みんなで彼氏を奪った新カノに制裁を加えてチャラにする「後妻打ち」は、ある意味、分かりやすくてうらやましいというふうに言ってました。

光浦 私は昔から、どんなコミュニティにいても恋愛とは遠いポジションにいたので、今、清水先生がおっしゃったような事件が教室内で起こった時も、元カノでも新カノでもない立場で眺めていたんですよね。そういう時、クラスの女子の半数以上が彼氏を取られた元カノに共感して、元カノの立場に立つんですよ。芸能人の恋愛スキャンダルとかでも同じですよね。一人の男性が一〇〇人と浮気しているとしか思えないくらい、新カノの立場に立つ人っていないんですよ。

清水 その場合、男はどうしていますか?

光浦 当事者であるはずの男は、女の争いには関わりたくないから黙っていることが多いですよね。

清水 浮気した男に対する批判はないんですか? だらしない男だなあ、というような意見はどのくらいあるんでしょうか。

光浦 ないことはないですけど、やっぱり、新カノへの批判の方が大多数になっちゃいますよね。理性で考えたら男が悪いって分かってるんだけど、感情では、浮気や心変わりをした彼氏より、好きな人を奪った新カノの方が憎いってなっちゃう。でも私は、そもそも男が女を裏切ったことが悪いんじゃないの? って思います。昔から、男に都合がいいように、自然と女たちで争うような仕組みが作られてたんじゃないのかなって。

清水 男に都合よくというのはどういうことですか。

光浦 浮気した男が悪いんじゃなくて、取った女が悪いってなるのは、男は悪くないという男尊女卑的な考え方が根本にあるんじゃないかなあと思ってます。女同士でやり合うほうに仕向けられてるのってずるくない? と思っちゃった。

清水 そうなんですよ。よく例えるのは、椅子取りゲームです。椅子が一つしかないから取り合いになるじゃないですか。だけど、本当に悪いのは椅子を一つしか用意してなかった人。

光浦 そうですよね。そのルールを作った人ですよね。

清水 男には複数の椅子が用意されているのに、女には一つの椅子しか用意されていない。そういう非対称な社会のルールが問題なのに。でも、そういう発想にたどり着くためには、もう一段階、想像力が必要になるんですよね。みんな社会のルールにとらわれて生きているから、なかなかその想像力を獲得できないんです。授業でも、後妻打ちという風習が生まれるのは、女性が強かったからではなくて、歴史的に女性の地位が低かったからだと教えるんですが、学生からは女性脳と男性脳の違いだとか、感情には逆らえないとかという情緒的な感想が来ます。

光浦 いやいや、手を出した男が悪いべ、みたいな発想にならないんですよね。でも、そういう風にフラットに考えられるようにならないといけないと思います。考え方を教えるのって大変だと思いますけど、先生、頑張って(笑)。

清水 頑張ります(笑)。でも、昔の女性の地位とか婚姻制度とか、それだけ取り上げると小難しい感じがしますが、こうやって男だ女だって話に置き換えると急に身近になりますよね。

光浦 本当にそう思います。身近なところから考えていかないと、歴史はただ昔のことを覚えるだけでつまらないって思っちゃう。実際に、私もそんな学生のひとりでした。


光浦さんの新刊『50歳になりまして』『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』(どちらも文藝春秋)

50歳になりまして

清水 光浦さん、一九七一年生まれなんですよね。僕も同じなんです。

光浦 そうなんですか! 同じ時代に教育を受けてたはずなのに、私が受けてきた社会の授業はつまらなかったです。先生はどうして歴史に興味を持たれたんですか?

清水 僕は、小学生の頃、父と一緒に見ていた歴史ドラマがきっかけでしたね。関ヶ原の戦いを描いたドラマだったんですが、父に「どっちがいい者でどっちが悪者なのか」って聞いたんです。そしたら石田三成がいい者で、徳川家康が悪者の話だと答えられました。なるほどと思って見ていたら、なんと悪者の徳川家康が勝っちゃうんです。え、悪者が勝つの? ってすごい衝撃でした。それまでは勧善懲悪でいい者が勝つという物語しか知らなかった僕に、悪者が勝つというドラマを見せられて本当にびっくりしました。しかも、これは四〇〇年前に本当にあった話だということにも驚きました。

光浦 そんなドラマがあったんですか。私は全然見てなかったです。私が知っているのは家康はいい者で、だから家康が勝つっていう話ばかりでしたし。

清水 それは割と近年の解釈だと思います。昔は家康は人を騙して天下を取った狸親父という悪いイメージが定番でしたから。

光浦 狸親父というのは、見た目でそう言われてるんだと思ってました。実際に悪いイメージだったんですね。私は三河地方の出身だから、家康はいい者だっていう話が刷り込まれていたのかもしれません。家康は江戸をつくって平和な時代を築いて、今の東京を、ひいては日本をつくった偉人くらいのイメージでした。

清水 僕たちくらいの世代でそう思っているというのは、やはりご出身の土地柄だと思います。ただ最近は、家康が平和な時代を築いたというのは事実なので、やり口はあこぎなところがあっても、なんだかんだいい者として描かれたりしていますね。でも、小学生の僕は、そんなこと分からないので、本当はいったいどっちがいい者なのかって、調べだしたんですよ。そしたら本によっては家康がいい者として書かれた本もあるんです。でも別の本では悪者になっていたりもする。それはなぜだろうと思って考えているうちに、歴史の世界にずぶずぶ入っちゃいましたね。

光浦 面白い。でも、歴史って書いた人が真実を書いているっていう保証がないから何を信じていいか分からなくて大変じゃないですか?

清水 見方によって変わるというのは、僕にとっては逆に魅力だったんですよね。そうして色々調べているうちに、室町時代までさかのぼっていった感じです。ところで、僕らは、校内暴力とかが全盛期の金八先生の世代より少し下ですよね。

光浦 そうです。金八先生のドラマ、少し憧れを持って見てました。

清水 どっちかというと管理教育の時代ですよね。愛知は特に管理教育で有名でした。

光浦 私の学校は思いっきり管理教育でした。田舎の高校だったから、なんでも少し遅れてくるんです。管理教育もそうで、他の地方では終わりかけてたんですが、うちは真っ只中でした。修学旅行も文化祭もなくなって、とにかく受験勉強をさせようとするんです。でも先生に受験のノウハウがないからただ教科書を読んでいるだけ。卒業後ずいぶんして先生からお手紙をいただいたんですが、そこに「君たちの世代は本当に申し訳なかった」って書いてありました。

清水 それはすごい。先生が非を認めちゃってるんですね。でも同じ歳だから、僕にもその感じすごく分かります。僕も小学校の頃、担任の先生が詰め込み教育で、ドリルばっかりやらされていました。僕は、時間通りに集まるとか、きっちりしたことが苦手だったのですごく苦しかったです。光浦さんもそうだって、新刊のエッセイ『50歳になりまして』(文藝春秋)でも書かれていますよね。

光浦 読んでくださってありがとうございます。そうそう、何故だか分からないけど、休憩時間の間にいろいろな準備を済ませて教室の移動をするということができないんです。ちょっとゆっくりしてしまったり、丁寧に準備をしたりしていたら次の授業の開始時間に一人だけ遅れてしまって、みんなの前ですごく怒られる。

清水 光浦さんのエッセイを読んで、僕と同じ歳で、同じように管理教育を潜ってきてるからこそ、自由な世界に憧れるのかなと思いました。

光浦 それもあると思います。だから今、留学に踏み切れたのもありますね。

清水 「文藝春秋」本誌に掲載された、留学を決意したけれどコロナで諦めたというコラムをネットで読んだとき衝撃を受けましたよ。ネガティブなものを読むのって、人は基本的には嫌がるじゃないですか。でも光浦さんは、それをぎりぎりで笑いに変えて読ませてますよね。すごいと思います。

光浦 世の中、嫌なこといっぱいあるけど、くすっと笑えるように変換していかないと生きていけないじゃないですか。そうしたらネットでバズって私もびっくりしました。

清水 コロナでいろんな夢を諦めた人って、いっぱいいるんだと思うんです。例えば借金してラーメン屋を開いた人とか、これから心機一転、新しいことを始めるぞっていうときに出鼻をくじかれた人が沢山いて、そういう人の気持ちを代弁されたから共感を集めたんじゃないでしょうか。

光浦 出鼻をくじかれた人は、私が留学行くなんて話を聞いたら恵まれた人生を送ってるって怒ると思ったんです。何を浮ついたことしてるんだって。でも思ったほど批判はなくて、むしろ好意的な意見が多くてそれにも驚きました。

清水 そうそう。だから規模は違っても、同じような思いをしてる人が結構いたということじゃないでしょうか。

光浦 私の年齢も、もう五十歳ですしね。あんまり怒られるような歳でもないのかもしれません。

清水 五十歳って、ステージがひとつ上がっちゃったなっていう感じがしますよね。

光浦 上がりますよね。私たちの世代のイメージだと六十歳が引退の歳じゃないですか。まあ今は六十歳で引退できる人なんてほとんどいないと思いますが、六十歳って、還暦とかオールドの概念が付き纏いますよね。それまであと十年か、と思ったら動かにゃと思いました。

清水 その先はどうされるご予定ですか?

光浦 何も考えてないんですよ。ただ、体が動く元気なうちに、自分のやりたいことをやっておかないと、この先、自分の願いの呪縛霊みたいなのにがんじがらめにされちゃうんじゃないかなと思いました。私は結構ぐじぐじするタイプなんですよね。

清水 確かに。僕は最近ノートルダム大聖堂に行っておけば良かったと心から後悔しましたよ。

光浦 そうそう、見たいものもあるし、経験したいこともあるし。あとは出会ってないものに出会いたいですね。経験とか過去から何かを得ようとするんじゃなくて、単純にやりたいことをやるのって大事だと思います。読書もそうですよね。為になった本や得する本を教えてくださいと言われることがありますが、楽しいから読んでるだけで、本を読んで得をしたと思ったことなんて殆どないから困ります(笑)。

清水 確かに。僕の本なんかは楽しく読んでもらえたら充分です。室町時代のことを知っても得することはないですし(笑)。

光浦 考え方に影響することはありますよ。

清水 考え方の幅を広げるというか、こんな考え方もあり得るんだなと思ってもらえたら嬉しいですね。

光浦 『室町は今日もハードボイルド』を読んで、厳格にルールを決めすぎないことも大事なのかなと改めて思いました。もやっとさせておくことも必要ですよね。

清水 生活実感から立ち上がってきたものって、もっと大事にしたほうがいいかもしれないですよね。ローカルなものであっても、取りあえず人と人との目の見える関係の中で出来上がったルールは、もっと尊重されてもいいと思います。広いところから見るとすごく特殊なことをやっているように見えるけど、そこで了解し合ってる人たちが作ったルールを、無理にローラーでならそうとしなくてもいいんじゃないかな。今は、大きな一元的な規範みたいなのを無理して作ろうとしすぎている気がします。

光浦 そうですね。管理教育への恨みは消えませんが、管理教育がフリーダムな社会への憧れと原動力を生んでいるのかもしれません。そうやって考えると少し気持ちが軽くなった気がします。

 ***

清水克行(しみず・かつゆき)
1971年生まれ。明治大学商学部教授。歴史番組の解説や時代考証なども務める。著書に『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)、『日本神判史』(中公新書)、『戦国大名と分国法』(岩波新書)、『耳鼻削ぎの日本史』(文春学藝ライブラリー)などがあるほか、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社文庫)が話題になった。最新刊は『室町は今日もハードボイルド 中世日本のアナーキーな世界』(新潮社)。

光浦靖子(みつうら・やすこ)
1971年生まれ。愛知県出身。幼なじみの大久保佳代子と「オアシズ」を結成。国民的バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』のレギュラーなどで活躍。また、手芸作家・文筆家としても活動し、著書に『靖子の夢』(スイッチパブリッシング)、『傷なめクロニクル』(講談社)など。最新刊は『50歳になりまして』『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』(どちらも文芸春秋)。

撮影:青木登

新潮社 小説新潮
2021年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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