『自分で名付ける』松田青子インタビュー「役に立たない、神話感ゼロの育児エッセイがあってもいい」Web用ロングバージョン

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自分で名付ける

『自分で名付ける』

著者
松田, 青子, 1979-
出版社
集英社
ISBN
9784087717532
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

『自分で名付ける』松田青子インタビュー「役に立たない、神話感ゼロの育児エッセイがあってもいい」Web用ロングバージョン

[文] 砂田明子(編集者・ライター)

いろんな人がいるという単純なことが、伝わればうれしい

松田青子
松田青子

38歳で妊娠、結婚せずに出産した松田青子さんのエッセイ『自分で名付ける』が刊行されました。「結婚」「自然分娩」「母乳」「母性」……妊娠・出産・育児にまつわる社会の「普通」や「当たり前」に対する違和感をひとつひとつ言葉にし、空いていない優先座席を見て社会の綻(ほころ)びに目を凝らす。同時に、パートナーと松田さんの母親と、三人で行う育児の様子や、BTSの曲を子守歌に口ずさんだりする日常生活が、軽妙に綴られます。個人と社会をつなぐ新しい育児エッセイの刊行にあたり、お話を伺いました。

松田青子
松田青子

役に立たない、神話感ゼロの育児エッセイがあってもいい

──新刊にはパーソナルなことも含めて、ご自身の体験を綴られました。執筆のきっかけは何でしたか? 

 子どもが生まれて早二年が過ぎましたが、妊娠と出産にまつわる約三年間の出来事は、自分にとって未知のことばかりで、新しく知ったり、思ったりすることがとにかく多く、書くことがいつの間にかたくさん溜まっていました。それから育児書や育児エッセイの中に、自分の感覚として、ピンとくるものがあんまりなかったんですね。というのは、どうしても「役に立つこと」や「わかりやすさ」が優先されるからです。それは大事なことですが、個人的なことや日常の些細なことが書いてある役に立たない育児エッセイがあってもいいのではないかという気持ちがありました。そういうエッセイなら書きたいし、書く意味があるだろうと思ったのです。

──その個人的なことが、いかに社会とつながっているかがよくわかります。第1章は、結婚せずに子どもを産んだらこんなことが起きた、という話です。役所の人にシェアハウスに住んでいると思われたり、母子手帳に書いた名前を“仮”のものと捉えられたり……。

 妊娠したり出産したりすると、社会から取り残されると言われたりします。家の中に隔離されるし、ワンオペ(ワンオペレーション)育児で、一日中、ほとんど誰とも話さなかったりする。でも、そうやって暮らしていても、自分の日常はやっぱり社会とつながっているんですよね。社会の雰囲気や制度が日々に直接影響してくるし、育児中の女性は「社会人」とみなされなかったりすることもあるかと思うのですが、いや、育児中だってめちゃくちゃ社会に関わってるじゃないかと、自分が経験してみてより深く思うようになりました。

──松田さんは無痛分娩で出産されていますが、「自然分娩」を尊ぶ風潮が根強かったり、「母乳」が一番というヒエラルキーは変わらなかったりという、社会の「当たり前」や「普通」を見つめなおし、時に異議申し立てを行っています。

 妊娠・出産って確かに不思議なことが多いですけど、必要以上に神秘的なものにされているように思います。語られる際に、「神話」扱いされたり、「母性」とか「母なる」といった言葉が使われがちで、私は元々、その感じが少し苦手でした。本当にそうなのかな? と疑問に思っていたのですが、実際に経験してみても、やっぱりそれらの言葉は自分には違和感があるままだったので、私は神話感ゼロの本を書こうと思いました。「お腹を痛めて産んだからこそ子どもを愛せる」といった言説をいまだに聞いたりすると、それらの言葉が女性への呪いになっていないかと気にかかります。自然分娩で産んだ人が、あの痛みを分かち合えたら友情が深まるからと、友人にも自然分娩を勧めたという話を聞いて、驚いたりもしました。

決めつけになるような言葉を排除する

──この本には「息子」や「娘」といった、お子さんの性別を特定する言葉が使われていませんね。

 はじめは意識的にそうしていたわけじゃなく、自分の感覚にあった書き方をしていたらそうなりました。私は自分の子どもを普段「息子」と呼ばずに名前でだけ呼んでいるので、文章上でも、そうするのが自然だったんです。自分自身や自分の子どもに対してそうなのに、外で会った人に対して使うのはちょっとおかしいんじゃないかという気持ちもあって、できるだけ使わずに書いてみようと途中から思いました。子どものことを含め、基本的には、決めつけになるような言葉を排除しようと思ってできる限りのことはしたんですが、特定の言葉を使わないと表現できないことは多いんだなとも感じました。

──子育てをしている女性は自分の名前ではなく、「お母さん」とか「○○ママ」と呼ばれたりもしますが、そういった言葉も出てきません。

 そうですね。何かやっぱりピンとこなかった。感覚的にピンとこないことをできるだけしないようにしたら、おのずとこういう本になったという感じがあります。

腹が立つことも、ムカついた思い出も書く

──子どもが生まれたらこれまでの自分でなくなる、という周囲のアドバイスに怯(おび)えていたと吐露されています。振り返っていかがですか。

 子どもを産んでも性格は一切変わらなかった、という友人たちもいて、自分もそうだろうなと思っていたものの、実際のところはそうなってみないとわからないので、半信半疑だったのですが、結果的に一ミリも変わらなかったので、かえってびっくりしました(笑)。もちろん物事の優先順位は変わりますし、体は二年ほどぼろぼろでしたが、根本はそのままです。産んですぐに海外ドラマの『ゲーム・オブ・スローンズ』を見ていましたし、映画館にも行きましたし、子どもが生まれてからBTSにはまって、推しが増えて忙しいです。もちろん家事・育児の負担をはじめ状況は人それぞれなので、私の場合は、ということになりますが。

──BTSの『Dynamite(ダイナマイト)』は子守歌に向いていると書かれています。ほかに北原白秋の『赤い鳥小鳥』を応用する作戦など、子守歌に関する考察、面白かったです。

 北原白秋の歌は汎用性がすごいんですよ(笑)。そういうくだらないことが書かれている育児本がなかったので、どうしても書きたかった。特にこの本は元々文芸誌での連載だったので、これまで文学と関係ないとされてきたことの数々を、この場所で書くことに意味があると思いました。日本の文学の世界はまだまだ男性中心なので。「個人的なことは政治的なこと」という言葉がありますが、自分の日常の小さなことが社会のあらゆる問題といかにリンクしているかということを、ちゃんと一つ一つ、しつこく言語化していきたかったんです。

──別姓でいることについて、短い会話で気持ちが確認しあえるほど相手の方(X氏)と松田さんは通じあっている一方で、一触即発なやり取りが発生することもありますね。

 通じあっているわけでもなく、ただその部分の考え方は一緒だったというだけというか。法的に結婚せずに、子どもを産むことに関してXと揉めることは一切なかったのですが、やはり全部オッケーというわけではなく、私の妊娠中は、こっちはつわりや様々な体の不調で大変なのに、相手はそれまでと同じ生活態度だったので、腹が立つことも多く、このムカついた思い出もちゃんと書かないと、私の妊娠期ではなくなってしまうので。話し合いながら、ケンカしながら、落としどころを見つけたり、お互いが変わっていく作業は必要でした。Xのことに限らず、この三年間、いいこともあれば悪いこともあったのでその両方を書こうと思いました。

──松田さんのお母さんも同居して、一緒に子育てをされています。三人の同居生活が読んでいて楽しかったです。

 私の母親が子どもの世話をしたいと申し出てくれたので、一緒にやってもらっています。以前SNSで、「おばあちゃんは孫の面倒をみたいものなんだから、母親たちはおばあちゃんに育児を手伝ってもらえばいいのに、なんでそうしないんだ」といった内容の発言が炎上していました。祖母=孫が好き、みたいな決めつけはおかしいですし、私が書いたのは、「うちの場合はこういう感じでした」という、あくまで一つのケースです。

──「鬼のようなコミュニケーション能力」を持つお母さんは明るく魅力的です。松田さんがお母さんから受けた影響はありますか? 

 育児と仕事の両立はよく問題になりますし、私は子どもが生まれる前から、両立は無理だろうと思っていたのですが、母がいてくれたことによって、本当に両立は無理ということがよくわかりました。
 母は、その時々で、優先順位がすごくはっきりしている人なんです。昔からアクセサリーや化粧など、自分を着飾ることに興味がなく、それより人のために動いているタイプの人です。その感じはすごいなと思っています。

自由に生きているつもりはないんです

松田青子
松田青子

──妊娠中、電車でいろんな人に席を譲ってもらったこと。同時に、優先座席が空いてないこと……こうした描写からは社会の「分断」を感じました。

 妊娠中、優先座席がこんなにも空いてないのかと知ってびっくりしました。優先座席に座っている人は、譲るべき人が来たら譲ろうと考えているのかもしれませんが、誰かが座っている時点で、あきらめて近づいていかない人がけっこういるんですよね。同時に、妊娠をきっかけに、譲り合いや気づかいが自然に発生している場がたくさんあることもわかりました。そういうところに気づけたり触れられたりできたのはよかったと思っています。コミュニケーションが断絶しているところとしていないところの差が浮き彫りになってよく見えた三年間でした。

──子どもを連れていると、「無関心」「好意」「敵意」の三つの視線の中にいる、と書かれています。自分が他者に向けている眼差しはどれだろうと、突きつけられました。

「無関心」「好意」「敵意」でいえば、大体の人が無関心です。ただ、無関心にもグラデーションがあって、一〇〇%の無関心から、視野には入っていて何かあったら手をのばそうと思っているくらいの無関心までがある。グラデーションをどちらに寄せるかが大事だと思います。ごく自然に「好意」を表現してくださる人にも助けられてきましたが、私自身もそうなんですけど、なかなかハードルが高いですよね。子どもを連れている人に限らず、困っている人がいたら、常に手をのばせる状態の無関心で自分もいたいなと思いますし、そういう人が増えるといいですね。

──区役所の係の人に「自由ですね」と言われたとき、松田さんは「制度や“普通”の枠におさまっていないから自由、というのはちょっと違うように思う」と感じる。本書は夫婦別姓をはじめ、様々な制度についても問いかけています。

 私は自由に生きているつもりはないし、先進的なことをやっているつもりもないんです。不利益があったとしても、自分が納得したかたちでしか生きられなくて。名字を変えたくないというのもその一つです。本にも書きましたが、高校生のときの歴史の先生が法的に結婚していないと言うのを聞いて、当時は「面白くて自由だな」と思っていたんですが、今思い返してみると、先生は本当にそういう選択しかなくてそうしていたんだろうと思いますし、今の自分も、本当にこれしかないという状態で日々を送っています。制度のほうが「普通」の枠を広げたらいいのに、と思うんです。夫婦別姓に限らず制度はいくらでも変えられるのに、現状が「日本の伝統」みたいになっている状況は、多くの人を苦しめています。いろんな人がいるという単純なことが、この本で伝わればうれしいです。

松田青子
まつだ・あおこ
1979年兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。2013年、デビュー作『スタッキング可能』が三島由紀夫賞および野間文芸新人賞の候補となる。2019年『女が死ぬ』(『ワイルドフラワーの見えない一年』を改題)の表題作がシャーリイ・ジャクスン賞候補、2021年『おばちゃんたちのいるところ』がLAタイムズ主催のレイ・ブラッドベリ賞候補に。他の著書に『持続可能な魂の利用』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』等多数。

聞き手=編集部/構成=砂田明子/撮影=間部百合

青春と読書
2021年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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