凡庸なダメ人間が自分にはない「宝石」を探し求める
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
題名は仏教語で、因陀羅が住む宮殿を飾っている網のこと。本作は、強権独裁が三十数年も続くカンボジアを舞台に、「インドラの網」に絡まる三つの「宝石」をめぐる物語だ。
主人公の「八目晃」は二十五歳、IT企業の子会社の契約社員。自分を「どこにでもいそうな平凡な顔。運動神経は鈍く、勉強もあまり得意ではない」と言い、休日はアパートの“汚部屋”でゲームをしている。ジェンダー差別意識もひどく、女だからと仕事の能力を疑い、女性の派遣社員にお茶を淹れさせる。
こんな彼にも輝かしい過去が一つだけあった。高校時代に、美貌と類まれな才能に恵まれた「野々宮空知」という男子と懇意にしたおかげで、学内で一目置かれていたことだ。彼の美しい姉妹とも親しくなった。ところが、空知とは大学時代に疎遠になり、やがて三きょうだいともカンボジアへ渡って音信不通に。空知の「心変わり」がトラウマになり、晃は精神を荒廃させてきた。
空知たちの父親の死を機に、カンボジアへ行って、空知の姉妹を探してほしいという妙な依頼を受けた晃は、空知に会いたさと、報酬の額に目がくらみ、無計画なままカンボジアへ渡る。油断ならない異国の街で、金を盗まれ、危ない目に遭いながら、空知ら三人の消息を追おうとするが、怪しい日本人社会に迷いこみ、政争と腐敗の闇に吸いこまれていく。誰が敵で味方なのか?
晃は楽ばかりしようとする浅薄なダメ人間なのだが、空知のことになると、急に精神の深みと凄みを感じさせる。「自分は、空知のネガティブな夢に出てくる小人物で……空知の暗い夢の中でだけ」生きているのではないかとか、「宝石になれない自分は、せめて宝石を繋ぐ網になりたい」と真面目に考えたりするのだ。荒んだ心にも澄んだ聖域はあるだろう。自分にはない「宝石」を探し求める、凡庸な人間の壮絶な変容の旅に打たれ、ラストに圧倒された。