“純粋”“潔癖”は第三者の願望? ペンギンと探検家の“性と死”

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“純粋”“潔癖”は第三者の願望? ペンギンと探検家の“性と死”

[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)

 同じつがいが一生を添い遂げる。ペンギンはそんな夫婦関係の規範の体現者のようにみられているが、事実はそうではないらしい。それどころか不倫や浮気は日常的。雄はときに雌を強姦し、雌は雌で巣作りに必要な小石を手にいれるために売春までする。驚くほど性のモラルに欠けた動物なのだ。

 一方で同じく南極で生きぬいた極地探検の英雄たちも負けてはいない。スコットが南極点到達後に息絶えようとしていた頃、妻は北極探検の巨人ナンセンと一夜をともにしていたというからびっくりだ。死の淵から部下を全員生還に導いた奇跡のリーダー、シャクルトンは相手を次々に替える浮気の常習者。堅物で有名なアムンゼンでさえ裏ではこっそり不倫の愛を燃えあがらせていた。もうペンギンそのもの、無茶苦茶である。

 文春砲の餌食になりそうな話がてんこ盛りだが、かといって軽薄な暴露本ではない。著者は南極に魅せられたペンギン学者で、その語り口はもう一方のペンギン(探検家)の生態を科学的に腑分けしていくようで重く、説得力がある。極地探検の悲惨な遭難と奇跡の生還が俯瞰された歴史の話でもあるので、それだけでも十分読み応えはあるのだが、でも著者はその先で、性と死の問題に焦点をあわせてペンギンと探検家の境界を消失させることで、別の何かを語ろうとしている。

 考えてみたら、これまでペンギンの夫婦が理想的と見なされたのは、人間の側の勝手な願望が投影されたためだ。極地探検家が純粋で性的に潔癖だとみられがちなのも同じである。でも事実はそうではない。人間はつねに内部に矛盾と分裂をかかえた存在だ。その葛藤に悩みつつ前進するのが生きることであり、それを無理に抑えこむと逆に人生は急に干からびたものとなる。

 とはいえ不倫を肯定しているわけではない。そこは取りちがえずに読んでいただきたい。

新潮社 週刊新潮
2021年7月29日風待月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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