瀬戸夏子が「混乱する女たちへの真摯な共鳴」と評する五所純子『薬を食う女たち』

レビュー

6
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薬を食う女たち

『薬を食う女たち』

著者
五所 純子 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784309228242
発売日
2021/06/22
価格
1,892円(税込)

書籍情報:openBD

倫理的な、あまりに倫理的な

[レビュアー] 瀬戸夏子(歌人)

 他者の言葉を奪って成立する語りにどんな倫理があり得るだろう。

 この本はいまどきめずらしく「正しくない」フェミニズムを標榜する本だ。元になった『サイゾー』での連載タイトルは「ドラッグ・フェミニズム」。これもまた「正しくない」フェミニズムで話題になったロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』というタイトルがヒントになっている。

 では正しい薬と正しくない薬は存在するだろうか。これは一見答えを出せそうだ。合法と非合法。デパス、ルネスタ、デプロメール、マイスリー、レンドルミン、ジブレキサ、エビリファイ、ドグマチール、リスパダール、ハルシオン…………MDMA、大麻、エクスタシー、コカイン、ヘロイン、シャブ、アヤワスカ、LSD。しかし「三つの神様」でリストカッターのいつきは悪質な精神科医に愛人として扱われやすくするため向精神薬と睡眠薬の過剰処方で薬漬けにされるし、「こつこつ」で七瀬は違法薬物を手に入れるため精神科で処方された向精神薬を出会い系サイトを通じて売り捌き、「住めば都」のトランスパーティーで用いられるのは心療内科で処方されたルネスタ、個人輸入のオーロリスク、ドラッグストアで購入できるガスター10、すべて合法だ。合法を悪用しているし非合法で、正しくない、そうも言えるかもしれない。けれどそれはつねに線上を揺れうごき、浸食しあっている。晒される現実の手触りがある。

「塩食う者たちとは、塩にたとえられるべき辛苦を経験する者たちのことであると同時に、塩を食べて癒やす者たちである」─藤本和子の北アメリカ黒人女性からの聞書き『塩を食う女たち』における「塩」は、『薬を食う女たち』の「薬」である。それなしで生きられたら。「自分から薬に手を出すやつなんていない。きっかけはかならず他人。」と杏と梨々は言った。「ドラッグがなければ東子はいない。」と東子は言った。「生存の根としての塩、その塩を食らう共同体。」と藤本和子は書いた。薬が正しいものだと完璧に思っている女はこの本には登場しない。けれどこの本には生存のために薬を必要とする女しか登場しない。塩がなければ人間は生きていけない。薬がなくても本当は女は生きていけるはずだ。北米の黒人女性に比べたら彼女たちは贅沢にみえるかもしれない。けれど環境という現実が彼女たちを包囲している。

 倫理は外圧として存在すべきだが、内面にも別の倫理が必要だ。この本はインタビューでありルポルタージュでありながら、それぞれが短編小説のように書かれている。「かれんには話したくても話せないことがあった。話されても書けないことがインタビュアーにはあった」「「オフレコ」でと言われるとき、それは工夫を凝らして書いてみろと挑発されるアクセルだった」─密約を信じること。それは他者を理解しようとすることだ。誤解を繰り返しながらコミュニケーションを諦めずに絶望することだ。この本はその無数のトライアンドエラーの集積であり、混乱する女たちへの真摯な共鳴である。

河出書房新社 文藝
2021年秋季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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