小山田浩子『小島』は、画一性をせまる共同体のくびきをきびしく拒絶する棘のような短編集

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小島

『小島』

著者
小山田, 浩子, 1983-
出版社
新潮社
ISBN
9784103336440
価格
2,090円(税込)

書籍情報:openBD

舌のさきの苦味、柔らかい指

[レビュアー] 堀千晶

 小山田浩子の作品を読んでいると、風がさっと吹いて、かなり遠くにある一本の針の穴にすっと吸い込まれてゆくのを、息をひそめて眺めているような気分になる。とにかく精密なのだ。

 言葉は「固形物のように空気に混じって私の肌や耳や髪の毛にぶつかった」り、「砂塵を巻き上げ吹き上げた」りしながら、ざらりとした感触をもつ世界の「うっすらとした膜」を浮かびあがらせる。たとえばレンジで温めた牛乳の「表面にできた薄い膜がコーヒーの重みで真ん中に沈んだ」という、かすかなゆがみを描写するのと同じ精度で、語り手たち(大半が女性)は、他/我のあいだ、過去/現在のあいだのへだたりやずれを、ささいな細部のなかに瞬時に書き留める。

 他者との接触は苦みや痛み、違和や不穏さを残すこともある。拾ったクルミのようなもののまんなかにある「空洞」に向けて、「そっと舌の先端を差し入れた」あと、痛烈な感覚に襲われて飲物を口にする「私」は、「舌に広がった苦みの膜の上にさらに牛乳の膜ができたような感触」を味わう。わたしたちは互いに異なる存在なのだと示す「膜」は幾重にも、さまざまな方向から積み重なってゆく。

 人間とヒヨドリとを切り分けるガラス一枚分の厚み。カーテンという薄い膜。じぶんの身体との齟齬。ジェンダー、労働条件、世代、教育、食、言葉などにかかわる溝(「実年齢勤続年数正規非正規既婚未婚子持ち、さまざまな秩序で使い分けられる敬語ため口」)。家族の見知らぬ顔。人間には捕まらない動物たち。猿の出る街で庭を挟んだ隣家との関係。広島カープ熱。猫を追いかけてふいにシャーと動物化する祖母。災害ボランティアと被災者遺族のあいだの越えようとすべきでない距離。だれもふれることのできない感情の襞。子どもの柔らかい指。

 こうした「住む世界が違う、全く別の律」は、「そこら中に」たくさんあって、見えないことも多い。普段歩く道路にも「爪か歯らしき尖った透明なものと金色の毛がなにかで張りついたかのように」「突き立って」いる。日常には「棘」が生えている。

 だからだろうか、『小島』に収められた十四の短篇には、どんなものでもあたたかくやわらかく包みこんでくれるような、いわゆる母性神話を想起させるものはいっさいないし、それと対になる子どもの純粋無垢への信仰や崇拝もない(どちらも政治的な隠喩になりうる)。そこここにある棘は、画一性をせまってくる共同体のくびきを、きびしく拒絶しているのかもしれない。あかるい未来なき時代における、言葉の倫理や矜持を示すようにして。

 くわえて文体にも倫理があるとするなら、ときに脱臼し、破格のものとなる言葉は、かるい横ぶれやめまいを、身をもって実演してみせている。たとえば、つながりがたい品詞や文脈や時間の非連続を連続的につなげた文は、『工場』以来ますます深まっているようだ。句読点の呼吸とあわせて、ぜひ息を詰めて読んでみてほしい。

河出書房新社 文藝
2021年秋季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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