『河合隼雄 物語とたましい』
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河合隼雄 物語とたましい 河合隼雄著
[レビュアー] 杉本真維子(詩人)
◆「はてな」を大事に温めていく
心理療法の第一人者である河合隼雄の著作集。一九七八年から二〇一五年に刊行された本の中から、全二十八作品を収録する。本書を貫くものは「わからない」という窓を常に開けておくという著者の態度だ。それは「たましい」という最大のわからないものに近づくために、自身に与えた方法なのかもしれない。
その「窓」を自由に往来するものは、趣味のフルートなどの身近なものから日本神話までとじつに幅広い。いずれの話題においても決めつけをおこなわず、「はてな」を大事に温めていく、というものの見方を鮮やかに提示する。
「100%正しい忠告はまず役に立たない」「灯を消す方がよく見えることがある」など、未知を刺激するタイトルに思わずにんまりとさせられる。ユーモアを交えたやわらかな筆致だが、その陰に苦悩ものぞく。その苦悩とは生身の人間を相手にしてきた心理療法家ならではのものかもしれず、そのせいか、人間の心の描写に作家には書けないような独特のかがやきがある。
たとえば、生まれて初めてブランコに乗れた子どものよろこびについて「ブランコのひとふりひとふりに、その子は自分の『いのち』のリズムを感じたに違いない」と書く。さまざまな心理学的キーワードとともに描き出される情景はあらゆる幼年期を映し出し、読者の胸に生のよろこびをふつふつと湧き上がらせる。
「IT革命」に沸いた二〇〇〇年の作「ITとit」も印象深い。自宅にこもり、人に会わなくても成立する生活の到来に、著者は警鐘を鳴らす。沈黙の共有の困難さは人間性の喪失へとつながると。
このことをコロナ禍の現在に置き換えてみると、オンライン会議や授業の限界点が見えてくる。間のつかみにくさが疎外感を生み、孤独感を加速させてしまうこともある。人と人が向き合って沈黙を共有することと私たちの「たましい」は、どうやら深い関係にあるようなのだ。
「心」の専門家の言葉のなかにこそ今の困難を乗り越えるためのヒントはあるのではないか。気楽に楽しみつつ血眼で読みたい、そんな一冊だ。
(平凡社スタンダードブックス・1540円)
1928〜2007年。臨床心理学者。文化庁長官も務めた。『昔話と日本人の心』など多数。
◆もう1冊
河合隼雄、村上春樹著『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)