オリエント、アクロイド、エクソシスト、X『征服少女 AXIS girls』著者新刊エッセイ 古野まほろ
エッセイ
『征服少女』
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オリエント、アクロイド、エクソシスト、X 古野まほろ
[レビュアー] 古野まほろ(作家)
「なんたって本格もの、です」「私にとって最も推理小説らしい推理小説とは『犯人捜し』なのです」「『この中に犯人がいる……』―これです」(有栖川有栖(ありすがわありす)『月光ゲーム』東京創元社、1989、カバー記載の著者のことば、一部記号改変)
若き日の我が師の言葉である。全く同感である。
およそミステリであれば、六何(ろつか)のいずれを謎とするものであろうと成立しようが、私は「誰が?」を謎とする犯人捜(さが)し、whodunitを偏愛する。私は個人的に「正義」を本格ミステリの重要な特性だと考えているので、「誰が?」が私の考える本格ミステリのコアとなるのは、むしろ必然となる。
何故と言って、犯人を解明・処罰し(処罰は刑罰とは限らない)、その改悛(かいしゆん)を求め被害者の思いに応(こた)えることは実質的正義に適(かな)うから。また、その実質的正義を実現するに当たって規範・道徳を守り、不公正・不相当にわたらないことは手続的正義に適うから。
近時、クリスティの『オリエント急行殺人事件』について、新旧二つの映画を観比(みくら)べた。一九七四年のルメット版と二〇一七年のブラナー版である。クリスティが「誰が?」の極めて斬新な描き方を複数創案(そうあん)したのは周知のことだが、『オリエント急行殺人事件』の物語はその斬新さゆえ、実質的正義にも手続的正義にも少なからぬ問題を胎(はら)む。換言(かんげん)すれば、作中人物の立場に立ったとき、正義の内容にも正義の実現過程にも、まこと苦悩すべき問題がある。この点、ルメット版のフィニー=ポワロとブラナー版のブラナー=ポワロを比較したとき、後者が実に現代的・内省的・謙抑的(けんよくてき)であるのに驚く。
私が今般『征服少女』を書き上げることができたのは、それと『エクソシスト』(一九七三)ゆえである。本作は同様の著述経緯を有する姉妹編『終末少女』を前提としない。私が何に驚き何に触発されたか、楽しんで推理して頂きたい。