『うかれ十郎兵衛』
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江戸の名プロデューサー
[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)
喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、東洲斎写楽(とうしゆうさいしやらく)という浮世絵の代名詞のような絵師を育てたのは、蔦屋重三郎(つたやじゆうざぶろう)という地本(じほん)商人で書肆(しよし)「耕書堂(こうしよどう)」の主人である。下品な草紙で江戸の話題を集めていた。「蔦重(つたじゆう)」と呼ばれたこの男、絵師だけでなく戯作者や吉原遊郭(よしわらゆうかく)の花魁(おいらん)までプロデュースした稀代(きたい)のやり手であった。
彼が売り出した才能を小気味良い五本の短編に仕上げたのが『うかれ十郎兵衛』である。
「美女礼讃」の主人公は喜多川歌麿。女房の病気で金の欲しい狩野(かのう)派の絵師の勇助(ゆうすけ)を口説き落とし、吉原の新しい筆頭女﨟(じよろう)「花魁揚巻(あげまき)」を売り出すための仕掛けをほどこす。歌麿という名は世を忍ぶ仮の姿であった。
蔦重が手掛ける本は軽い、下品だと言われつつ飛ぶように売れた。戯(ざ)れ話を書いていた一人が駿河小島藩(するがこじまはん)の江戸留守居役、倉橋寿平(くらはしじゆへい)で恋川春町(こいかわはるまち)と名乗った。だが田沼意次(たぬまおきつぐ)の失脚による奢侈(しやし)禁止令で家に籠(こも)りきりとなる。この寿平の秘めた恋愛を描いたのが「桔梗屋の女房」だ。
江戸城に勤める木挽町(こびきちよう)狩野家の奥絵師・文洲をなんとか町絵師にしようと画策する「木挽町の絵師」、戯作者を目指して蔦重の手代として働く瑣吉(さきち)と、吉原一の美妓(びぎ)・白縫(しらぬい)花魁との関わりが曲亭馬琴(きよくていばきん)を作り上げたという「白縫姫奇譚」、そして現代まで残る謎、東洲斎写楽は誰かを追う「うかれ十郎兵衛」。
酸いも甘いも噛み分けた蔦屋重三郎が育てた絵師や戯作者、役者や商人たちが後の化政文化を花開かせる一因となったことは間違いない。
自分の存在の意味を求めて苦しむ人間を、さらりとした筆致で描いていく吉森大祐というこの作家、次回作を期待させる。