寝袋と自作の詩集を持って上京 尾崎世界観、吉本ばななとのコラボで注目される詩人・谷郁雄の半生

インタビュー

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詩を読みたくなる日

『詩を読みたくなる日』

著者
谷郁雄 [著]
出版社
ポエムピース
ISBN
9784908827716
発売日
2021/07/29
価格
1,540円(税込)

過ぎていく日々の中に“小さな希望”を見つけ出す。詩人の谷郁雄さんと、詩を書いて生きることについて話しました

[文] みらいパブリッシング


詩人の谷郁雄さん

吉本ばなな、リリー・フランキー、尾崎世界観、ホンマタカシ、青山裕企。

小説家や写真家など様々なジャンルの表現者とのコラボレーションで知られる、詩人の谷郁雄さん。

「そのときそのときの人との出会いを本という形にしてきたけれど、今は、もう一度自分自身に戻ろうとしている時期かもしれない」

そう話す谷さんが、この夏、新しい詩集を刊行することになりました。

タイトルは、『詩を読みたくなる日』。谷さん自身の日々の暮らしから生まれた40の詩をまとめた1冊です。

どんな詩集なのだろう。そこからさかのぼって、詩を書きはじめたきっかけや、詩人になるまでの道のりなどについて聞いてみました。

これは、初夏のある日、谷さんがわたしに打ち明けてくれたことの記録です。

表紙にトイレットペーパー?

――新しい詩集は『詩を読みたくなる日』というタイトルが印象的ですね。ふと無意識の部分に呼びかけられているような、引力のある言葉です。

今回の詩集のタイトルを考えていたとき、人が詩を読みたくなる日ってどんな日だろう、と考えてみたんです。それは多分、一人ひとりが孤独を感じていて、そこから一歩踏み出すために、小さな希望を探したいと思っているときなんじゃないかなと。

なにかに迷っていたり、誰かの言葉に背中を押してほしかったり。そういう時間は孤独なものですが、大切にしてほしい時間でもあります。そんな時間に詩と出会ってもらえたらいいなという願いを込めて、このタイトルにしました。


詩集『詩を読みたくなる日』

――表紙のトイレットペーパーも衝撃的でした。とてもかわいらしいですが、なぜなのでしょう?

特殊なテーマではなく、日々の中で見つけたこと、気になったことを書くのが、僕の詩の書き方です。

だから、日常にあるものをイラスト化してカバーに散りばめようということになって、最終的にこのデザインになりました。この詩集の装丁をお願いした鈴木千佳子さんが、僕の詩を読んでこのアイデアを提案してくれたんです。

鈴木千佳子さんは、僕のわりと初期の頃の詩集から装丁をお願いしている寄藤文平さんのところでアシスタントをしていた方で、彼女が独立したら詩集の装丁をお願いしたいと思っていたんです。鈴木さんのデザインとイラストによって、とてもかわいくて親しみの持てる詩集になったと思います。

――トイレットペーパーをはじめ、谷さんの詩に出てくるのは、600円持っておつかいに行く、Suicaをチャージする、皮膚科へ行くなど、本当に日常のありふれたシーンばかりですよね。それなのに、谷さんの詩を通してそれらを見ると、新鮮に感じられたり光りはじめたりするので不思議です。

ありがとうございます。長年にわたり詩を書き続けていて、これまで40冊以上の詩集を出しているけれど、基本的にずっと変わらず、自分の日常のことを中心に書いています。もちろん「こういうテーマで」と依頼されたときは、自分から離れてそのテーマに沿って書くこともありますが。

詩を書くのを拒否したために、一生書き続けなきゃいけなくなった

――そもそもなのですが、谷さんが詩を書きはじめたきっかけを教えてください。

文学の形式としての詩と、日常に潜んでいる“詩”があると思うんだけど、後者について言うと、僕は子どもの頃からちょっと変わったところがあって、ときどき、哲学的な思考に耽る変な子どもだったんです。

たとえば、存在と無、“あること”と“ないこと”ってなんだろうとか。虫歯が1本ぬけた自分とぬける前の自分は同じ自分なのか?とか(笑)

そういうのって、詩のはじまりだと思うんですよね。哲学と詩はある意味で同じだから。

――詩のはじまりをそこに置くというのは面白いですね。そこが谷さんの詩人としての根っこなのかもしれないですね。

あと、詩のきっかけといえば、もう1つ思い出すことがあって。

僕は高校生のとき三重県に住んでいたのだけど、東京の女の子と文通したことがあったんです。あるとき、その子の手紙に詩が書かれていた。「神々のまとうヴェールが…」みたいな詩が途中まで書いてあって、そのあとに「残りの部分をあなたが書いてください」とあったんです。でも、僕はそのとき詩にまったく興味がなかったから、そこで文通をやめてしまった(笑)

ところが、そんな自分が、それから数年後に詩を書きはじめ、人から詩人と呼ばれる立場になるとはね。どんでん返しというか、あれは彼女の予言のようなものだったのかな。彼女が書いた詩の続きを書くのを拒否したために、僕は一生、詩を書き続けなきゃいけなくなった。

詩より先に、詩人の面白さに魅了されてしまった

――そのときの女の子が谷さんが詩人になったことを知ったら、きっと驚くでしょうね。詩に興味のなかった谷さんが、興味を持ちはじめたのはいつ頃ですか?

大学生のときですね。当時は写真家になろうと思っていて、いつもカメラを首からぶら下げていました。英文科でしたが、授業に出ずに遊びまくっていましたね。

あるとき、大学の学園祭で、詩人の吉増剛造さんの朗読会と講演をやることになって、「お前が駅まで迎えに行け」と言われたので、京都駅まで吉増さんを迎えに行ったんです。それで吉増さんと親しくなって、詩人という存在に興味を持ち、吉増さんのエッセイ集を読んでみたら、これが面白くて。すぐに感想を手紙に書いて送ったら、2週間ほどしてから直筆の手紙が返ってきました。

詩より先に、まず詩人が面白いと思ったんです。吉増さんの不思議さや面白さに魅了されてしまった。

――詩より先に詩人に出会うなんて、贅沢ですね。

そこから詩という文学形式に目覚めて、1日1冊くらいのペースでかたっぱしからいろんな詩人たちの詩集を読むようになりました。日本の詩人だけでなく外国の詩人も、当時、手に入る詩集はほとんど全部読んだと思います。

そのうち自分も書きたくなってきて、ノートに詩を書く練習をはじめました。


日々の暮らしから詩を書くこと。それがずっと変わらない谷さんのテーマです

大学を辞め、寝袋と自分でつくった詩集をカバンに入れて、東京へ

――最初の詩集を出したのはいつ頃ですか?

出版社から出したのは35歳のときなんですけど、その前に、23歳のときに自分で詩集をつくったんです。

詩にハマって、もうこれ以上大学にいてもしょうがないなと思って、大学を辞めて東京に行こうと決めました。そのとき、わずかだけどなんとなく形になっていると思える詩を集めて、京都の印刷屋さんで詩集をつくりました。

200部刷って、そのうちの50冊くらいと友達に借りた寝袋をカバンに入れて東京に行きました。住む部屋も決まっていなかったのですが、行けばなんとかなるだろうと思って。公園のベンチとか、外でも寝られるように寝袋を持って行ったんです(笑)バカだよね。

――すごい。ドラマみたいですね。

それからもう40数年。よく生きてきたと思います。仕事も転々としましたが、その間も詩だけはずっと書き続けていました。

やめようと思ったことは何度もあるけど、結局やめられませんでした。自分で決められるような問題じゃない。僕が詩を選んだのか詩が僕を選んだのか分からない状態というのかな。詩から逃げられないという感じ。

歌手の松任谷由実さんが「わたしは才能の奴隷だから」というようなことを言っていたのだけど、うまいこと言うなと思ますね。

周りにいつも人がいる理由

――谷さんは、吉本ばななさんや尾崎世界観さんなど、様々な方とコラボレーションした本を出していますよね。人と一緒に何かつくるのが好きなのですか?

実は、僕はあまり人付き合いがいいほうではないのですが、人と一緒にコラボレーションするのは大好きです。今まで才能のある人たちとたくさん出会って、その都度出会いからいい刺激を受けて本づくりを楽しんできました。

詩人同士だとライバル関係になってしまうからどこか構えてしまうけど、写真家や小説家など他の分野で活躍している人だと付き合いやすいんですよ。

――谷さんが、一緒にいて心地よい、何か一緒にやりたいと思う人はどんな人ですか?

人柄や作品に魅力がある人ですね。今までコラボレーションした人たちは、みんな自分の表現を確立していて、自分にプライドを持っていて、一筋縄ではいかない面もありましたが、付き合っていて気持ちのいい人ばかりでした。

――逆に、苦手なタイプ、こういう人とは付き合いたくない、という人はいますか?

苦手なタイプというより、好き嫌いはあります。でも、わりとどんな人にでも対応できると思います。

それは、昔、編集プロダクションで働いていたときに鍛えられたからかもしれません。インタビューの交渉から記事を書くところまでやっていたのですが、多いときは1日に6人くらいインタビューして熱を出したこともありました。

そういえば、ずっと昔、東京都知事の小池百合子さんがアナウンサーだったときにインタビューさせてもらったことがあって、インタビューのあとで自分の詩集を渡したことがあったなぁ。蜷川幸雄さんとも取材で親しくなって、生前は仲良くしてもらいましたね。とにかく、仕事でたくさんの人たちに出会い、いろいろな人格や個性に対応する能力が身についたのだと思います。


とにかく人に会いまくることが、谷さんに近づくヒントかもしれません

――谷さんの周りに人がいる理由や、色々なところで名前を聞く理由が分かった気がします。最後に一言、お願いします。

コロナ禍が長引いて、なかなか気持ちが解放されない日々が続いていますよね。僕も常にストレスを感じていて、最近まであまり調子がよくなかったんです。でも、ワクチン接種がはじまって、これから新しい日常がはじまるような希望もあって、やっと気持ちが前向きになってきました。

友達と気楽に会って話せるような日常が戻ってきたら、いずれ詩のイベントもやりたいと思っています。

――そのときを心待ちにしています。今日はどうもありがとうございました!

話を聞いた人:谷郁雄(たにいくお)さん

1955年三重県生まれ。同志社大学文学部英文学科中退。大学在学中より詩作を始め、78年に大学を中退後、上京。90年に『死の色も少しだけ』で詩人デビュー。93年『マンハッタンの夕焼け』が小説家の辻邦生氏の目にとまり、第3回ドゥマゴ文学賞の最終候補作に。詩集に『自分にふさわしい場所』『日々はそれでも輝いて』『無用のかがやき』『思春期』『愛の詩集』『透明人間再出発』『バンドは旅するその先へ』『バナナタニ園』『大切なことは小さな字で書いてある』他多数。詩集の他に、自伝的エッセイ集『谷郁雄エッセイ集日々はそれでも輝いて』などがある。いくつかの作品は、信長貴富氏らの作曲により、合唱曲にもなっている。また、中学校の教科書の巻頭詩にも作品が選ばれている。

取材・文:笠原名々子

みらいパブリッシング
2021年7月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

みらいパブリッシング

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