リアリティと現代性を包括した「千里眼」シリーズ屈指の快作――『千里眼 ノン=クオリアの終焉』松岡圭祐著 文庫巻末解説

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千里眼 ノン=クオリアの終焉

『千里眼 ノン=クオリアの終焉』

著者
松岡 圭祐 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041116296
発売日
2021/07/16
価格
880円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

リアリティと現代性を包括した「千里眼」シリーズ屈指の快作――『千里眼 ノン=クオリアの終焉』松岡圭祐著 文庫巻末解説

[レビュアー] 朝宮運河(書評家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

■『千里眼 ノン=クオリアの終焉』文庫巻末解説

■解説
朝宮 運河(書評家・ライター)

「千里眼」シリーズ十二年ぶりの完全新作となった『千里眼の復活』からわずか三か月、松岡圭祐の『千里眼 ノン=クオリアの終焉』が刊行された。前作ではメフィスト・コンサルティングの離脱者と死闘をくり広げた臨床心理士・岬美由紀だが、今作では中国でさらなる大事件に巻きこまれることになる。
「千里眼」は「万能鑑定士Q」「探偵の探偵」『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』などの作品で知られる人気作家、松岡圭祐が一九九九年以来書き継いでいる現代ミステリー・エンターテインメントだ。
 シリーズは大きく二つのシーズンに分けられる。第一作『千里眼』から『千里眼 背徳のシンデレラ』(二〇〇六年)まで十二作が刊行されたファーストシーズンと、二〇〇七年に『千里眼 The Start』で幕を開けたセカンドシーズンだ。後者は第十巻『千里眼 キネシクス・アイ』(二〇〇九年)において一応の完結を見たが、今年四月に待望の新作『千里眼の復活』が刊行され、岬美由紀の物語がまだまだ継続中であることをファンに印象づけた。
 ちなみに当初小学館より刊行されていたファーストシーズンは、現在「千里眼クラシックシリーズ」と銘打たれ、加筆修正を施したうえで角川文庫に収録されている。社会状況の変化に合わせ、内容的にも大幅なアップデートが施されているので、これからシリーズを遡ろうという方は角川文庫版「千里眼クラシックシリーズ」を手にするのがいいだろう。
 物語の主人公・岬美由紀は、千里眼の異名をもつ元航空自衛官の臨床心理士。自衛官時代は女性で初めて戦闘機F-15のパイロットに選ばれたほどの身体能力の持ち主で、並外れた動体視力と心理学の専門知識により、相手のわずかな心の動きも見逃さない。文武両道を地でいくようなスーパーヒロインだ。
 そんな彼女はこれまで、日本転覆を目論むカルト教団〈恒星天球教〉、歴史を陰から操る〈メフィスト・コンサルティング〉など、社会秩序をおびやかすさまざまな勢力と戦ってきた。本書のタイトルとなっている〈ノン=クオリア〉も、美由紀の前に立ちふさがる宿敵のひとつである。
 ノン=クオリアは人間性を否定し、巨大な機械的システムによる支配を是とする狂信的なグループだ。全世界で活動するメンバーは赤ん坊の頃から特殊な閉鎖空間で育てられ、ロボットのように組織の命令に服従している。彼らが崇めるのは母と呼ばれる謎の存在のみ。
 クオリアとは、さまざまな感覚的経験にともなう質感を表す概念のことで、たとえば晴れた空を見たときに感じる清々しさ、イチゴを見たときに感じる赤さなど、言語化しにくいが誰もが経験したことのある独特の質感である。脳科学や哲学の分野で研究されてきたクオリアを否定するノン=クオリアは、人類全体と対立する存在であるばかりか、心理操作に長けたメフィスト・コンサルティングとも敵対関係にある。

千里眼 ノン=クオリアの終焉 著者 松岡 圭祐 定価: 880円(本体...
千里眼 ノン=クオリアの終焉 著者 松岡 圭祐 定価: 880円(本体…

 本書のあらすじを簡単に紹介しておく。前作の空爆テロ事件によって焦土と化した東京都杉並区。児童養護施設の常駐カウンセラーとして保護者を失った子供たちのケアにあたっていた美由紀のもとに、英文の手紙が届けられる。差出人は香港にある国際クオリア理化学研究所。クオリアの実存を科学的に証明したとされるこの研究所を、美由紀は見学したいと思っていたのだ。日本政府の働きかけによって見学許可を得た美由紀は、文科省の職員・芳野庄平とともに香港に飛んだ。
 海沿いの丘陵地帯に建つ研究所で、クオリア研究の世界的権威である李俊傑所長、日本人職員の磯村理沙らと対面した美由紀は、国連から派遣されてきた著名な医学博士エフベルト・ボスフェルトとも言葉を交わす。もし李所長がクオリア実存を証明したとしたら、人類史に残る発見だ。それをノン=クオリアが見過ごすはずがない、と美由紀は内心危惧していた。その悪い予感はほどなく的中してしまう。
 夜の埠頭で小さな光が明滅するのを目撃した美由紀は、突如SPの銃撃を受ける。その直後、海と空から大量の兵士たちが研究所に攻撃を仕掛け、SPたちと激しい撃ち合いを始めた。鳴り止まない銃声、最新のボディアーマーで武装した兵士たち。研究所はたちまち銃声と炎に包まれた戦場と化していく──。
 ここから先は本編を読んでのお楽しみだが、扱われている事件のスケールは間違いなく「千里眼」シリーズでも最大級だろう。圧倒的な物量で迫りくる敵と戦いながら、美由紀は事件解決の鍵を求め、香港から中国本土を移動する。その先に待ち受けるさまざまな危機と罠。ミリタリー知識を満載したハードなアクションと、抑制されたタッチで描かれる人間ドラマ。そのふたつの要素を織りまぜた緩急あるストーリーは、まさに一気読み必至の面白さである。
 興味深いのは世界規模で進行するノン=クオリアの陰謀に、一定のリアリティと現代性が感じられるということだ。科学的ファクトよりも自らの盲信する世界観を優先する人びとが引き起こす事件を、私たちはいくつも目撃してきた。あの二〇二一年一月のアメリカ連邦議会議事堂乱入事件を目の当たりにした今となっては、ノン=クオリアの存在も絵空事と切り捨てることができないだろう。このあたりの絶妙なさじ加減は、デビュー以来常に“現在”と対峙し、作品内容をアップデートさせてきた著者ならではといえる。
『ノン=クオリアの終焉』というタイトルが示すとおり、本書ではノン=クオリアとの戦いに終止符が打たれる。しかしそこにいたる道のりは決して平坦ではない。クオリアの実証データはどこに消えたのか? 美由紀の周囲にノン=クオリアの内通者はいるのか? 見え隠れするメフィスト・コンサルティングの目的は? クライマックスにおいて事件の全貌が明らかにされ、意外な黒幕と美由紀の対決が描かれる本書は、ミステリーとしても読み応え十分だ。
 そしてもうひとつ、本書には触れておきたい特徴がある。脳科学と哲学にまたがる思想史上の難問・クオリアを扱ったことで、この作品は“人間とは何なのか”という普遍的テーマをあらためて問い直すものとなった。人間性を一切認めないノン=クオリアと、大衆を意のままに操ろうとするメフィスト・コンサルティング。美由紀はそのどちらの立場にも与しない。本書のラストで美由紀が口にする台詞は、彼女の人間観の表れであると同時に、「千里眼」シリーズを貫いている力強いメッセージであるように感じられた。

 数々の人気シリーズを抱える松岡圭祐は、二〇二一年前半だけでも『千里眼の復活』の他、「特等添乗員α」シリーズ七年ぶりの新作『特等添乗員αの難事件 VI』、ハイスクール・ポリティカル・アクションの第十弾『高校事変 X』と合計三冊を角川文庫より発表している。その執筆ペースには驚かされるばかりだが、三月にはさらにノンフィクション『小説家になって億を稼ごう』(新潮新書)も上梓、読書界の話題をさらった。
 いかにもセンセーショナルなタイトルをもつ同書だが、実際にはどうすれば読者の興味を惹きつけてやまない物語を生み出せるかを、自らの経験をもとに伝授したエンタメ小説執筆の手引き書であり、ハイペースで生み出される松岡作品の創作舞台裏を初めて明かした好著であった。
 著者が“億稼ぐ”ほどの人気作家となったのは偶然ではない。それはたゆまぬ創意工夫と勤勉さの賜物だ。「千里眼」シリーズ屈指の快作である本書にも、読者を楽しませるために自らをイノベーションし続ける作家・松岡圭祐のスタンスがはっきりと刻印されている。
 それにしても今後「千里眼」シリーズはどうなるのだろう。ノン=クオリアとの戦いに一旦の終止符が打たれたとはいえ、美由紀を取りまく世界にはいくつもの脅威が残っている。おそらく彼女の戦いはまだ終わらない。美由紀の新たな活躍が読める日を、ファンの一人として楽しみに待ちたいと思う。

■作品紹介

リアリティと現代性を包括した「千里眼」シリーズ屈指の快作――『千里眼 ノン...
リアリティと現代性を包括した「千里眼」シリーズ屈指の快作――『千里眼 ノン…

千里眼 ノン=クオリアの終焉
著者 松岡 圭祐
定価: 880円(本体800円+税)

12年ぶりの完全新作から怒涛の連続刊行!
最新鋭戦闘機の奪取事件により未曾有の被害に見舞われた日本。復興の槌音が聞こえてきた矢先、メフィスト・コンサルティング・グループと敵対するノン=クオリアの影が世界に忍びよる……。機先を制するために香港に渡った岬美由紀だったが、すでに既存の秩序と平和は崩されつつあった。目前に迫る地球規模の危機。人間性を否定する異端集団は“終焉”のスイッチを押してしまうのか!? 極大のスケールで展開される超弩級作!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000291/

KADOKAWA カドブン
2021年08月02日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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