酷暑に負けない、清涼感の溢れる本がここにある! ニューエンタメ書評
レビュー
8書籍情報:openBD
ニューエンタメ書評
[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)
東京五輪もなんとか開幕!
それでもステイホームを徹底して、読書を楽しんでいきましょう!
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本誌が発行される頃は、東京オリンピックの真っ最中である。オリンピック後のコロナ禍がどうなっているか分からないが、状況がよくなるとは信じられない。まだしばらくは、家に籠もっていたほうがよさそうだ。そんなステイホームのお供に相応しい、読みごたえのある作品を紹介しよう。まずは夢枕獏の『JAGAE 織田信長伝奇行』(祥伝社)だ。先に刊行された『白鯨 MOBY─DICK』(KADOKAWA)は、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』の世界にジョン万次郎を放り込んだ驚倒すべき物語であったが、こちらもぶっ飛んだ内容である。
若き日の織田信長が出会ったのは、自らを「人の心を啖うて生きる妖物じゃ」という、飛び加藤こと加藤段蔵だ。究極の合理主義者である信長と、その対極に位置する飛び加藤だが、なぜかお互いに惹かれ合う。それが縁だったのだろう。本能寺の変に至るまでの長き歳月の節々で、飛び加藤は信長の人生に容喙するのだった。
淵に潜む河童。妖刀・あざ丸の伝説。大蛇のいるという池。妖物の話を聞くたびに、信長は実証により、それが虚妄であることを証明する。大蛇がいるという池の水を汲み出して確認する(戦国版「池の水ぜんぶ抜く」か)など、信長の行動は徹底しているのだ。しかし彼の心の奥底に、人知の及ばぬ存在に対する畏れや憧れはなかったのか。
それが明らかになるのが、ラストの本能寺である。燃え盛る本能寺に現れた飛び加藤が、信長の心にある合理主義という蓋を外す。このときの圧倒的なイマジネーションに、作者の人間に対する想いがあった。夢枕獏でなければ書けない、伝奇の光彩で照らし出した、信長の一代記なのである。
幡大介の『シャムのサムライ 山田長政』(実業之日本社)は、徳川家譜代の大名の駕籠かきから、シャム(現在のタイ)の重臣になった山田長政の生涯を描いた大作だ。訳あって駕籠かきの役目から放逐され、シャムに送り込まれた仁左衛門(長政)。そこにある日本町では、徳川方と豊臣方の勢力が争っていた。さらにシャムの王が亡くなり宮殿も混乱。右も左も分からないまま、戦いに駆り出された仁左衛門は、しだいに日本町で頭角を現していく。やがて新たな王の信頼を受け、王家の末葉の姫を妻に得た仁左衛門は、戦と商いに全力を尽くし、シャムで出世した。しかし敬愛していた王が亡くなり、シャムの政争に巻き込まれたことで、彼の運命は大きく変わっていく。 山田長政を主人公にした物語は昔から多い。それでも本書が楽しく読めるのは、作者の深い歴史認識に基づくストーリーになっているからだ。特に感心したのは、シャムの日本人に及ぼす、日本の影響だ。関ヶ原の戦いは終わったが、大坂には豊臣家が健在である。このような状況で、徳川方と豊臣方は、シャムの鉛と硝石を必要としている。その争奪戦に日本町の住人も深くかかわるのだ。徳川方に組み込まれている長政も同様である。しかし歳月を経て、徳川の天下が定まると、海外との関係も変わり、長政の利用価値もなくなる。長政のシャムでの激動の日々を、日本の時流と密接に絡めたところが、新鮮な読みどころになっているのだ。
さらに戦象を使ったシャムならではの戦闘や、スペイン艦隊との戦いなどが、凄い迫力で描かれている。その中から、日本人の奴隷を無償で助けたり、何があろうと王に忠義を捧げる主人公の、魅力的な生き方が浮かび上がってくるのである。
また、物語の後半で長政と激しく対立することになるシャムの王族の、侍の忠義に関する解釈が興味深い。このような解釈は初めて読んだが、なるほどと納得してしまった。他にも随所に作者の知見があり、そこも本書の味わいになっているのである。
樋口明雄の『還らざる聖域』(角川春樹事務所)は、屋久島を舞台にした山岳冒険小説であり、同時にスケールの大きな謀略小説になっている。北朝鮮の最強部隊・特殊作戦軍が、いきなり屋久島に上陸。島を武力制圧し、核爆弾を設置した。そして特殊作戦軍のリ・ヨンギル将軍が日本政府に突きつけた要求は、キム・ジョンウンの解放と亡命であった。一年前から始まった北朝鮮の内乱により生死不明だったキム・ジョンウンだったが、どうやら生きていたらしい。この緊急事態に日本政府は、屋久島出身の環境省技官の寒河江信吾を道案内にして、自衛隊を島に送り込もうとする。
一方、島では特殊作戦軍の襲撃を逃れた屋久島署山岳救助隊の高津夕季、山岳ガイドの狩野哲也と相棒の清水篤史、美貌の女兵士ハン・ユリ大佐などが、山中で行動。彼らが出会うことで、事態は予想外の方向に転がっていく。
いきなりの襲撃から、ストーリーはノン・ストップ。屋久島の山中で、さまざまな思惑と謀略が渦巻き、状況は二転三転する。第三次世界大戦の危機にまで発展していく物語に夢中になり、その中であくまで人間的な心を失わない狩野たちを応援したくなった。また、特殊作戦軍に対して、レジスタンスのように抵抗する、島民たちの姿が頼もしい。それは屋久島の美しき自然と共に生きる、人間の強さといえよう。「後記」によれば作者は、屋久島を舞台にした作品を、代表シリーズである「南アルプス山岳救助隊K─9」と並ぶ、車の両輪にするという。楽しみなことである。
辻村美月の『琥珀の夏』(文藝春秋)は、歯ごたえ抜群のミステリーだ。かつて〈ミライの学校〉という施設があった土地で、女児の白骨が見つかる。弁護士の近藤法子は、その白骨が、母親に連れられて〈ミライの学校〉に入った孫娘ではないかと疑う祖父母の依頼を受け、調査を始める。だが、小学生のときに〈ミライの学校〉の夏の〈学び舎留学〉に参加していた法子は、そのときに仲良くなったミカという少女が、白骨の正体なのではないかと密かに思うのだった。
調査に乗り出した法子は、やがて立て続けに、意外な事実を知る。これにはビックリした。白骨を巡る事件の真相にそれほど驚きはないが、他の部分でサプライズが堪能できた。
しかもミステリーの中に、さまざまなストーリーが埋め込まれている。子供の頃のミカやノリコのパートは、ノスタルジー物語だ。それにしても作者は、本当に子供の気持ちを忘れていない。読んでいるだけで、誰もが子供の頃のいろいろな感情を甦らせるだろう。また、現在の法子は三歳の子供の保育園探しに苦戦中。この母親としてのエピソードが、〈ミライの学校〉の人々と響き合う。そしてラストは友情物語として幕を下ろすのだ。多くの読みどころを持った、重厚な作品なのである。
波木銅の『万事快調』(文藝春秋)は、第二十八回松本清張賞受賞作だ。作者は二十一歳の現役大学生とのこと。だからだろうか。物語はかなり粗削りだ。しかし随所に才能のきらめきが感じられる。そこが高く評価されたのだろう。
朴秀実・岩隈真子・矢口美流紅。三人は茨城の底辺工業高校の二年生だ。同じクラスの彼女たちは、仲がいいわけではない。それぞれに家庭の事情を抱え、鬱屈した日常を過ごしている。しかし、ラップをやっている朴が、ひょんなことから大麻を手に入れた。なんだかんだあって接近した三人は、廃止されていた園芸同好会を復活させ、学校の屋上で大麻の栽培を始めるのだが……。
繰り返すが、粗削りな作品だ。三人の地元に対する嫌悪感は、茨城出身の作者自身のそれを反映しているのではないか。三人に振り分けられた、小説・漫画・映画の趣味も、作者の趣味であることが窺える。書かずにはいられなかったのだろうが、表現がむき出しで、時に痛々しさすら感じた。その癖、ある人物の名前の由来など、妙に技巧的なところもある。朴に大麻を盗られた男の扱いもユニークだ。巧い部分と生な部分が入り混じり、物語のバランスは、けっしてよくない。
だが、それだからこそ、三人の行動の先が読めない。ラストも投げっぱなしだけど、このストーリーには相応しい。作品だけでなく、作者本人も危なっかしく見えるが、若き才能がどう伸びていくか見守っていきたいものだ。
伴名練編『日本SFの臨界点 中井紀夫──山の上の交響楽』(ハヤカワ文庫JA)は、中井紀夫のSF短篇集だ。二〇二〇年、伴名練を編者にして刊行した二冊のSFアンソロジーから派生した企画本の第一弾である。収録されているのは十一作。そのうち「山の上の交響楽」と「見果てぬ風」が、かつて出版されていた中井の短篇集『山の上の交響楽』と重複している。伴名は極力重複を避けたそうだが、この二作は外すことはなかった。それだけの名作である。
「山の上の交響楽」は、たったひとつの交響楽を数百年にわたって演奏している楽団で、オーケストラ全員が参加する「八百人楽章」が迫り、楽団事務局の音村哲夫が奔走する。ドタバタ騒動の中から、無益かもしれない行為に人生をかけた、ちっぽけな存在としての人間の意味が浮かび上がる。「見果てぬ風」は、ふたつの壁に挟まれた世界で、世界の果てを知りたいという衝動に突き動かされた主人公の旅が描かれる。こちらも無益かもしれない行為を通じて、人間存在の意味が問われている。どちらも感動的な作品だ。その他の多くの作品も、時間や空間に対するこだわりと、奔放なイマジネーションが合体し、独自の魅力的な世界が生まれているのである。
さらに伴名練の解説「奇想と抒情の奏者──中井紀夫の軌跡」が、とんでもなく充実した作家と作品のガイドになっている。これも必読だ。