『屋根裏のチェリー』
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小特集吉田篤弘『屋根裏のチェリー』刊行記念エッセイ
[レビュアー] 吉田篤弘(作家)
チェリーは小さな女の子です。身長はわずか二十センチほどしかありません。しかも、彼女がそこにそうして存在していることを確かめられるのは、この世でただ一人、サユリだけです。 サユリは、〈鯨オーケストラ〉なる楽団のオーボエ奏者でした。しかし、訳あってオーケストラが解散してしまい、以来、彼女は自らが経営するアパートの屋根裏部屋に引きこもって、音楽から離れて暮らしています。
このサユリの頭の中にいる、彼女の分身とでも言うべき存在がチェリーです。本当は頭の中だけにいるはずなのですが、なぜか、頭の外に出てきて、サユリに話しかけてきます。
サユリはできることなら、オーケストラを再生したいと考えています。しかし、自分一人の力ではどうにもなりません。 「大丈夫」とチェリーはサユリを励まします。オーケストラの再生に向けて、その一歩を踏み出せるよう、チェリーはサユリの背中を押しつづけます──。
物語を書き始めるきっかけとなったのは、オーボエという楽器でした。音色はもちろんのこと、そのフォルムがじつに魅力的でした。複雑で緻密だけれど、優雅な印象を持ちながらチャーミングでもあります。
さらに、オーケストラにおけるオーボエの役割に惹かれました。
もし、その日演奏される楽曲にピアノが使われるのであれば、しっかりと調律されたピアノの音に他の楽器が合わせます。しかし、ピアノの出番がないときは、オーボエの音程にオーケストラが合わせます。
オーボエが他の楽器より音程の調節に時間がかかるからです。それで、他の楽器がオーボエに合わせてくれるのです。
他の楽器と折り合いをつけにくいからといって後まわしにするのではなく、合わせるのが難しいオーボエに皆が合わせてくれる。
そういう物語を書きたいと思いました。
人生の進め方に戸惑う不器用な登場人物たちが、どのようにして出会い、どのように力を合わせて大きな音楽を奏でるか。ひとつひとつの音はささやかだけれど、それらが重なり合うと、その名のとおり、鯨のようにスケールの大きい音楽に化けてゆく。
そういう物語を書きたいと思いました。