ツボちゃんの話 夫・坪内祐三 佐久間文子著 新潮社

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ツボちゃんの話

『ツボちゃんの話』

著者
佐久間 文子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103539810
発売日
2021/05/26
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

ツボちゃんの話 夫・坪内祐三 佐久間文子著 新潮社

[レビュアー] 橋本倫史(ノンフィクションライター)

評論家との25年 妻が回想

 いつもふらふら飲み歩いているのに、仕事の面では驚くほど勤勉。極端なひと見知りでありながら、人間おたく。怒りっぽいのに、とことん親切。そんな「ツボちゃん」こと、評論家・坪内祐三さんが亡くなって1年半が経(た)ち、妻・佐久間文子さんによる回想録が出版された。

 25年間の記憶を思い出しながら書くうちに、佐久間さんは、「文ちゃんは嫉妬深いから」というツボちゃんの声を聞く。

 坪内さんは「ぼくは嫉妬を手放した」と語っていたという。でも、「嫉妬という感情に苦しんでいたのは、じつは彼のほうだったのではないか」と佐久間さんは綴(つづ)る。「嫉妬を手放した男」という物語を作り上げることで、「人生の難局を乗り切ろうとしたのではないか」と。

 「嫉妬」をめぐるエピソードの後に並置されるのは、「神さまのこと」と題した章だ。坪内さんは時折、「神さまはいる」と口にしたという。

 坪内さんのデビュー作『ストリートワイズ』にも、「神」という言葉が何度か登場する。そこで坪内さんはD・H・ロレンスを引きつつ、「神」とは決して大げさなものではなく、「日常で出会うちょっとした驚き、『偶然性』を素直に『経験』すること」と書いている。

 偶然の出会いを坪内さんは好んだ。方向音痴だったから、「たびたび街をさまよってしまう」ために、偶然の出会いが多かったのではないかと佐久間さんは書く。思い出を美化するのでもなく、悲観的に振り返るのでもなく、散文精神を携えて回想することで、評論家・坪内祐三の神経のふれかたが浮かび上がり、「思いの揺れ」も垣間見える。「思いの揺れ」とは、自分なりの神さまや世界観を確立しようとする動きである。

 誰かの「思いの揺れ」に触れるのはおそろしい。それを覗(のぞ)き込むと、こちらも共振し、揺さぶられてしまう。でも、佐久間さんが追憶する夫・ツボちゃんの話を介してみると、「思いの揺れ」について考えることは、どこか魅力的に感じられる。本書を通じて、私もおそるおそる、考えることに導かれてゆく。

読売新聞
2021年7月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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