『英文学者 坪内逍遙』
書籍情報:openBD
英文学者 坪内逍遥 亀井俊介著
[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
「世界文学的」発想先駆け
演劇の革新運動などで知られる坪内逍遥は、日本近代における最初の大学生のひとりである。明治9年(1876年)に入学した東京開成学校が在学中に改組・改名され、卒業したのは東京大学文学部だった。逍遥は大学卒業と同時に、創立2年目の東京専門学校(後の早稲田大学)の講師となり、同校で長年にわたって英語・英文学などを教えた。本書は、比較文学・アメリカ文学の泰斗が、逍遥が残した英文学関係の著作を精読する一冊である。
「田舎育ち」を自称する逍遥は少年時代、滝沢馬琴の小説を借りて読みふけったので、貸本屋を「心の故郷」と呼んだ。前近代への耽溺(たんでき)が新時代の文学を開拓する格好の土壌となっていたのである。出世作の『小説神髄』では馬琴的な勧善懲悪主義を全否定せずに乗り越え、明治小説がめざすべきリアリズムへの道を示唆した。また、盟友二葉亭四迷は、言文一致体で長編小説『浮雲』を書き、逍遥が念願した新しい文体を形にした。
だが若くして文壇の寵児(ちょうじ)になった逍遥には弱点があった。手探りの自己流ゆえの理論不在。留学帰りの鴎外は「没理想論争」を起こし、逍遥の理論のなさをドイツ仕込みの美学理論で叩(たた)いた。著者はこの論争を再検討しながら、中途半端に見える逍遥の文学論にひそむ創造性を評価し、西洋の理論に頼らない研究姿勢を評価する。
逍遥の英文学は先鋭化せず、俗っぽさと好奇心の広がりを保ったまま、早稲田での講義内容を生かした『英文学史』、『英詩文評釈』へと結実し、シェイクスピアの戯曲全訳へと移行していく。
英文学の専門化が進む前に活躍した逍遥は「和漢洋三文学の調和」を目指し、彼が主導した英文学科は「英語をとおして学ぶ外国文学科、あるいはヨーロッパ文学科、領域の広い一般文学科」だったという。はたしてこれは古いだろうか?
文学理論の輸入過多が長年続いたせいで、文学とじかに向き合う解放感を感じにくくなった今、世界文学的な発想の先駆と言うべき逍遥の研究と教育の大らかさがぼくたちを誘っている。
◇かめい・しゅんすけ=1932年生まれ。東京大名誉教授。専門はアメリカ文学、比較文学。著書に『日本近代詩の成立』など。