悪手とは、ミステリと将棋と人間ドラマを融合させる一手 芦沢 央『神の悪手』

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神の悪手

『神の悪手』

著者
芦沢 央 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103500834
発売日
2021/05/20
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

悪手とは、ミステリと将棋と人間ドラマを融合させる一手 芦沢 央『神の悪手』

[レビュアー] 吉田大助(ライター)

■物語は。

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■『神の悪手』芦沢 央(新潮社)

悪手とは、ミステリと将棋と人間ドラマを融合させる一手 芦沢 央『神の悪手』
悪手とは、ミステリと将棋と人間ドラマを融合させる一手 芦沢 央『神の悪手』

 王手を筆頭に、将棋用語が一般社会で使われるようになった例は多数存在する。近年広まった用語の一つが、悪手だ。語句の定義がきっちりと定まった王手とは異なり、悪手には意味の揺らぎがある。直木賞&本屋大賞への連続ノミネートで注目を集める小説家の芦沢央は、将棋ミステリに初挑戦した短編集『神の悪手』において、悪手の一語が擁する幅広いイメージを活かし、全五編を仕立て上げた。
 第一編「弱い者」では、震災の避難所へボランティにやって来たプロ棋士の北上が、少年との指導対局を行なっている最中、相手の指から悪手が放たれる。実力があると認めた相手だったからこそ、その衝撃は北上にも突き刺さる。なぜ少年は、あまりにあからさまな悪手を指したのか? しかも、二度にわたって。表題作にあたる第二編は、先日逝去した田村正和演じる『古畑任三郎』の初期傑作「汚れた王将」を彷彿させる、犯人視点の倒叙ものだ。プロ(四段)になるための奨励会三段リーグ最終日の前日に殺人を犯してしまった奨励会員・啓一が、最終日の決戦でとある手を放つ。それはある一面においては妙手であり、別の一面においては悪手以外の何物でもないもので……。
 ここ最近の将棋ブームのとあるトレンドをトリックに取り入れ、サプライズ発動の衝撃は本書随一となった第四編「盤上の糸」において、悪手はこう定義される。〈考えて考えて、もうこれ以上は考えられないというほど深く考えた上で手を選ぶのに、指した瞬間に間違えたとわかる。/憑きものが落ちたように、自分が囚われていたものが幻想だったという直感が、思考によってではなく本能的に降ってくる〉一手のことだ、と。気付かないままでいられるならばまだマシなのだ。しかし、駒から指を離した瞬間に気付いてしまうから、その後の思考や感情がネガティブ一色に塗りつぶされてしまう。悪手とは論理ではなく感情の問題であり、そこには必ず、ドラマが蠢く。
 駒師を主人公に据えた最終第五編「恩返し」の変化球っぷり(そして羽生善治棋士に対してのリスペクト)も素晴らしかったが、珠玉の一編を選べと問われれば、第三編「ミイラ」を挙げる。詰将棋の専門誌で添削指導を行っている常坂は、十四歳の少年からの投稿作が気にかかっていた。すると、編集長からその少年の意外な素性が知らされ、「この少年が父親からもらった自作の詰将棋を解いていた」という証言を得て、詰将棋としては成立していなかった少年の投稿作と今一度向き合う。そしてブレイクスルーの瞬間、〈憑きものが落ちたように、自分が囚われていたものが幻想だったという直感が、思考によってではなく本能的に降ってくる〉のだ。物語の作劇という観点からは、悪手はこんなふうに定義することができるのかもしれない。それは──ミステリと将棋と人間ドラマを融合させる一手。
 将棋に詳しくなくても問題なく楽しめるよう、けれど説明過多にはならないよう、一文一文が磨き上げられている。一方で、登場人物の心情や無意識下に潜む価値観を、書かないことで書く、描写の凄みにも唸った。新境地に挑んで成果をあげることと自己記録を更新すること、両者を共に実現してみせた傑作だ。

■あわせて読みたい

■『駒音高く』佐川光晴(実業之日本社文庫)

 将棋会館の清掃員、プロを目指す娘、引退間際の棋士……。純文学出身作家が記す、棋界とその周辺に現れる全七編の人間ドラマ。解説の杉本昌隆八段いわく、〈敗着とは、指した瞬間に「ああ、しまった」と後悔するようなうっかりは少なく、むしろ最善と信じて選んだ手であることが多い〉。

KADOKAWA カドブン
2021年08月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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