『幕末紀』
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幕末の血刃を描く筆致の冴え
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
本書の著者柴田哲孝の記述に従えば、柴田家は“謂れ”の多い一族ということになる。“謂れ”、すなわち事情といえようか。
その第一は、重臣といえる名家でもないのに宇和島伊達家の墓所の中に墓がある、というもので、著者の四代前の祖先、高祖父・快太郎が八代藩主・宗城の密命を受けて脱藩、主の耳目となって幕末の動乱の渦中にあった人物であるから、ということになる。
快太郎の行動がいかに幕末の動向と軌を一にしていたかは、本書の目次に散見する次なる言葉、桜田門外の変、唐人お吉、坂本龍馬、新選組、池田屋事件を見ても明らかであろう。快太郎の活躍は、正に史実と史実の間隙をぬって進められていき、ページを繰るにつれて次に私の胸中に宿ったのは、己れの血脈の中に、歴史の快男児がいるというのは、どのような心地のするものであろうか、というものであった。
このことは、本書の半ばほど、主人公が京都河原町の枡屋に宿をとり、平野国臣の和歌を目にするあたりから濃密になり、以後、寺田屋騒動へと連なってゆく。そして、物語の当初、快太郎の持つただならぬ佇まいは、そのまま、様々な思惑が交錯する幕末の分からなさを象徴しているかに見えるが、快太郎の行動が状況へ果敢にコミットしていくようになると、歴史は正に彼のような抜きさしならぬ個人によって動かされているのだ、という思いへと転じていく。
こんな作品が面白くなかろうはずなく、本書は今季、私が読んだ歴史小説の中でいちばん興味深かったといっていい。いや、歴史小説といい切るのは正しくないかもしれない。その書きっぷりも、海音寺潮五郎流の史伝のウマ味が横溢しており、秀逸。幕末の血刃の巷を描く筆致の凄まじさも、迫力充分で、久しぶりに作品と五分に渡りあった疲労感が心地よい。