人気歴史小説家・梶よう子が描く、「噂」で身を立て江戸を生きた男

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噂を売る男

『噂を売る男』

著者
梶 よう子 [著]
出版社
PHP研究所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784569849959
発売日
2021/07/29
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 歴史・時代]『噂を売る男 藤岡屋由蔵』梶よう子

[レビュアー] 田口幹人(書店員)

 書店の店頭で藤岡屋由蔵の名を目にして迷わず購入、面白さのあまり一気読みしてしまった一冊を紹介したい。

 十数年前、高橋克彦「完四郎広目手控シリーズ」(集英社)や藤原緋沙子「見届け人秋月伊織事件帖シリーズ」(講談社)を読んだ際、重要な脇役として登場していて強く印象に残ったのが藤岡屋由蔵だった。その後、彼が江戸末期から明治元年にかけて江戸城内の芝居・見せ物などの評判から、人事異動、火事や飢饉・地震の被害、評定所等の裁判記録や町内の噂、殺人事件や強盗・喧嘩まで、江戸の情報を幅広く詳細に綴った『藤岡屋日記』の存在を知り調べたことがあった。小説や戯曲をはじめさまざまな著作の種本ともなった日記であり、風俗・政治情報の貴重な記録は、まさに世相の鏡と言える。

 梶よう子『噂を売る男 藤岡屋由蔵』(PHP研究所)は、その藤岡屋由蔵を主人公に据えた歴史小説である。

 北陸の加賀前田藩の聞番に抜擢されたばかりの佐古伊之介は、家老から難題を課せられる。聞番とは、諸藩や幕府との折衝役であり、武家社会の慣習を円滑に進めるためにあらゆる情報を収集する役目である。経験に乏しい上に、大藩である前田家であることが足枷となることも多く苦労していた。

 そんな伊之介は、御成道にある足袋屋・中川屋の軒下を借りて、路上に筵を敷き露天で古書店を営む男が、世間の噂話を売っているという話を耳にするのだった。

 その男が、のちに『藤岡屋日記』をまとめることになる藤岡屋由蔵である。古本販売を隠れ蓑に、裏が取れた噂や風聞の類を売っていた。

 養蚕の地として知られる上州藤岡宿で生まれ育った由蔵の実家は、表通りに店を構える生糸問屋だった。しかし人のいい父親が起こした事件により、「うそっこき」と呼ばれ蔑まれ続け、苦しい幼少期を過ごしていた。その幼少期に身に着けた他人との向き合い方や物事の見方こそ、由蔵が収集した情報である「種」の肝となっている。

「噂に惑わされ、躍らされ、果ては大勢が信じ込み、噂が噂でなくなっていく。誰もが知ったふうに語り、伝え、世の中の真実はこうして出来上がる。」

 この一文は、情報社会と言われる世に生きる我々への、由蔵からのメッセージであるかのように感じた。

 信用や信頼など実体のないあやふやなものではなく、真実だと見極めた情報こそが由蔵の売る種である。そんな種の一つが、あのシーボルト事件の真相に繋がっていくのだが、そこは読んでお楽しみいただきたい。

 ぜひともシリーズ化してほしい作品である。

新潮社 小説新潮
2021年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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