フィクションによって現実を知る、という体験をさせてくれる『ポストコロナのSF』

レビュー

7
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ポストコロナのSF

『ポストコロナのSF』

著者
日本SF作家クラブ [編集]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784150314811
発売日
2021/04/14
価格
1,166円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 SF・ファンタジー]『ポストコロナのSF』日本SF作家クラブ

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 ディストピアという言葉が分からなくなっている。

 今の世界は、あの「ディストピア」なのだろうか? 自分が書評でさんざん使ってきた「ディストピア小説」の? とりあえず仕事はしている。飢えてもいない。でも本当は危険と隣り合わせの生活を今自分は送っている……

 そんなふうにぐるぐる考えることを繰り返している。去年からずっと、認識の焦点が合わないまま日々を過ごしているような感覚が続いているのだが、高山羽根子、藤井太洋、柞刈湯葉ら十九人の書き下ろし短編を収録した『ポストコロナのSF』(日本SF作家クラブ編 ハヤカワ文庫)は、フィクションによって現実を知るという体験をさせてくれた一冊だった。

 冒頭に置かれている小川哲の「黄金の書物」は、産業翻訳家のカンナが、門脇という男にドイツから日本まで古書を運んでほしいと依頼される話だ。謝礼は一回十万円。犯罪に加担しているのではないかとカンナは不安を覚えるが、門脇は「すべてのページに幻覚剤が染み込ませて」あり「音楽イベントなどで使うものだ」とカンナに告げる。やがてコカインなども託されるようになったカンナの運び屋仕事は、新型コロナでドイツへの入国が不可能になったことで終わりを迎えるが、「最後」の出国審査で疑いをかけられて――。

 そうか、コロナは密輸にも影響を与えているはずだよな、などと思っていたら、体がぶわんと振り回されるような結末が待っていた。「どこへも行けなくなった世界」がそこにあった。今、どこへも行けないわけではない。でも行きたいところには行けない、その閉塞感が心の表面に出てこないよう、気持ちを押し殺していることを思い出してしまう。

 津原泰水の「カタル、ハナル、キユ」と題された一編は、ある架空の土地ハナルに存在する謎めいた楽器イムにまつわる奇譚だ。ああ、日本じゃないところへ行きたいと思いながらページをめくる。七音階が〈きわめて「正確に狂っている」〉イムは〈蓮の蕾とそれを支える茎に似た形状をした青銅器の集合体〉であり、イムを弾く奏者イムリは遺体の腕に刻まれた文様を音に置き換えて演奏するという設定をはじめ、細部まで念入りに描かれるハナルという秘境の文化が昏く美しい。〈ウイルスの温床〉ではあるが〈生きた番なら最も高額で売買される〉野生動物の密猟に失敗し、この地に留まったイムリの数奇な人生、そして彼の身に訪れる悲しみが胸に迫る。同じ悲しみを感じている人が現実世界に溢れていることを思わずにはいられない。

 こう言うと語弊があるかもしれないが、ポストコロナというのは作家にとって書き甲斐のあるテーマかもしれない。十九作品、必ずしも救いが用意されているわけではないからこそ、池澤春菜さんの力強いまえがきが心に響く。

新潮社 小説新潮
2021年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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