外交交渉四〇年 薮中三十二(やぶなか・みとじ)回顧録 薮中三十二著

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外交交渉四〇年 薮中三十二(やぶなか・みとじ)回顧録 薮中三十二著

[レビュアー] 御厨貴(東京大学先端科学技術研究センター客員教授)

◆国益のため双方にモノ言う

 「交渉人一代記」ともいうべき面白くためになる本だ。外交官として日米交渉を軸とする外交交渉、それに国内各省との内政交渉、その現場で見たこと、仕掛けたことが著者の達意の文章の中に、立体化されている。

 たとえば「国益をかけたランチ」の話。ワシントンで議会の有力スタッフとどうつきあうか。これと見込んだ相手をランチに誘う。場の政治学を地で行き、レストランの一番奥のいい席をどう確保するか。たかがランチのために涙ぐましい努力をするのも、すべて「国益」のためなのだ。

 特に一九八〇年代後半から九〇年代前半に至る日米経済摩擦のただ中にあって著者は米国の要求をにべもなく拒否する日本側の態度を改めさせ、交渉のテーブルにつかせ、落としどころを探っていく事例をいくつも扱っている。第三章、第四章は石原信雄、小沢一郎という多少とも私が接触した人の名前が出てきて懐かしい。

 日米構造協議の最終段階で、中身は同じでも日本側の表現の仕方を変えていくプロセスに触れ「まるで違った作品が出来上がったように思えた」と著者は述懐する。結局交渉事はすべて文化の様式の問題に帰着するのだ。交渉のプロセスで双方がそこに思い至るかどうか、著者はあらためて当時を振り返り「制裁回避」を第一に、日米双方にモノを言った自らの外交交渉の結果について自問自答する。そして米国で全体像を描いた人物としてジェイムズ・ベーカーをあげているのは興味深い。

 さらに小泉政権下での北朝鮮の拉致問題へのかかわりは、田中均氏との関係で何があったのか、もう少し知りたいところではある。そして外務事務次官として民主党政権にどう対峙(たいじ)したのか、言葉少ないことが著者の評価なのかもしれぬ。

 著者はその後、立命館大学そして「グローバル寺子屋・薮中塾」で楽しく自らの交渉人の後継者を育成しようとしている。その姿は、外交官OBとしてもっとも意味があるものと思う。交渉人に定年はない。

(ミネルヴァ書房・3080円)

1948年生まれ。外務事務次官を経て立命館大客員教授。著書『日本の針路』など。

◆もう1冊

五百旗頭(いおきべ)真、宮城大蔵編『橋本龍太郎外交回顧録』(岩波書店)

中日新聞 東京新聞
2021年8月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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