小説家とはフィクショナルな人生を抱え込む人のこと

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小説家とはフィクショナルな人生を抱え込む人のこと

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 八篇の短篇からなる本書の主な登場人物は二十代から三十代の男女だ。知り合い同士がばったり出会ったり、約束して落ち合ったり、居酒屋のカウンター越しに知り合ったりする。相手に踏み込まず、適度な距離を保って付き合う都市的な群像だが、女性の姿は颯爽としていて、屹立感がある。

「金曜日、雨模様、気温8度」では三十歳までには作家デビューを果たそうとする上杉邦彦が、高校時代の女友達、上原真由美と会って近況を報告し合っている。話の成り行きで「結婚は、しないのか」と彼が問うと、真由美は結婚するなら相手はあなただと決めているが、籍は入れても一緒に暮らすのは止めようと言い、こう続ける。「ふたりでいっしょに住むと、せっかくのひとりが、崩れるような気がする」。

 女性の登場人物にこのようなせりふを言わせることができるのは片岡義男くらいだろう。

 男女の出会いに困難はなくスムーズだが、ふたりの会話がはじまると、そこには抽象度とリアリティーが入り交じった独特の場が形成される。上杉がデビュー作のイメージについて語るシーンがある。

「短編集ごとに主人公が異なる。結果としては群像劇だね。どの物語にも、おなじ踏切が出て来るといいかな。時間の背景は一年間。季節が変わっていく様子と物語の進展が重なるといい。暑い日の踏切など、うまく書けるかな」

 本書のどの作品も主題は「小説を書く」ことにあり、それはそのまま片岡義男の姿に重なる。

 思えば小説家とは、実人生のほかにフィクショナルな人生を抱え込む人のことである。この出来事をどう描いたら小説になるか絶えず頭の隅で考えている。片岡は自分の身辺を素材にすることはないが、書くことへの切り込み方は他のだれとも異なりユニークだ。改めて唯一無二の書き手だと感じた。

新潮社 週刊新潮
2021年9月2日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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