『カンカラ鳴らして、政治を「演歌」する』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
1978年生まれの著者がカンカラ三線に惹かれたワケ
[レビュアー] 立川談四楼(落語家)
タイトルのカンカラとは何か? 沖縄に三線という三味線に似た楽器がありますが、その胴の部分が大ぶりの缶詰の空き缶でできているもので、カンカラ三線と呼ばれています。
演歌は我らが知る小節を回す演歌ではなく、明治の中期に声だけで歌われた『演説歌』のことで、その先達として添田唖蝉坊の名が知られています。知る人ぞ知るですが。
著者はタイトルそのままに「カンカラ鳴らして、政治を『演歌』する」わけですが、政治に正面から毒を吐くのではなく、風刺するところにその特長があります。当時の歌詞そのままもあり、著者の作詞、つまり替歌もありという形でです。
演歌とカンカラ三線の取り合わせが面白く、しかもそれを1978年生まれの若さでというのが評価され、芸能界の目利きである小沢昭一、永六輔といった人たちに見出されました。談志も「岡ってないいな、見込みがある」と言いました。因みに大介はタイスケと濁りません。これを機にお見知りおきを。
著者はサッカー少年でした。夢破れ、今度はフォークシンガーとしてメジャーデビューを目指します。また挫折し、ついに「演歌」に辿り着くわけですが、プロセスに頷くことが多く、必然的にそこへ導かれたように感じます。
カンカラ三線を背負い、著者は全国各地に出かけます。「何それ、楽器?」。その一言があれば、たちどころに演歌が始まります。ビールケースを引っ繰り返せば、そこが舞台になるのですから。
酒席で政治風刺をやるとからまれることがあります。「おまえは右翼か左翼か」と。この時の著者の答えがいいんです。「はい、無翼です」。実はこれ、唖蝉坊の息子知道の著書の中にあるセリフとのことですが、実にいい返しです。相手の出鼻をくじくユーモアがあるからです。ハッキリしろなどと言うと、野暮ということになりますから。