こんなに孤独な主人公もいないだろう 『スリープウォーカー マンチェスター市警 エイダン・ウェイツ』

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スリープウォーカー

『スリープウォーカー』

著者
Knox, Joseph池田, 真紀子, 1966-
出版社
新潮社
ISBN
9784102401538
価格
1,155円(税込)

書籍情報:openBD

こんなに孤独な主人公もいないだろう

[レビュアー] 江國香織(小説家)

江國香織・評「こんなに孤独な主人公もいないだろう」

 あいかわらず詩的で、あいかわらずブルージーだ。そして、街はあいかわらずすさんでおり(壁が落書きだらけの空きビルはホームレスに不法占拠されているし、民間運営のホームレスシェルターは「アルコール中毒、ドラッグの過剰摂取、スパイスが引き起こした心臓発作、刺傷事件」などの温床で、病院のトイレではジャンキーが液体石鹸を啜っているのだし、かつて児童救済施設だった場所にあるバーの、「床はいまでも当時のタイルが張られたままで、そこに染みついた絶望が完全に洗い流されるにはまだ二百年くらいかかりそうだ」)、人はもっとすさんでいて、一度でも発言機会のある登場人物はみんな、歪んでいるか病んでいるか壊れているか傷ついているかに見える。それが、彼、刑事エイダン・ウェイツのいる世界だ。

 シリーズ三作目である本書に、

「この何年か、俺はこの街でいくつかの異なる人生を生きてきたが、同じ数だけ死んだような気がする」

 という言葉があるのだが、主人公エイダン・ウェイツがこれまでこなしてきた仕事に、これ以上ふさわしい言葉もない。そもそも彼は“堕落刑事”の烙印を押され、警察上層部にとってのある種の捨て駒として、潜入捜査や法の外側の汚れ仕事をさせられてきたのだし、人生そのものがあまりにも侵蝕され、清濁併せ呑みすぎて誰も信用できず、つまり、すでに底なしの泥沼にはまっている。多くの警察小説とこのシリーズの決定的な違いはそこで、エイダン・ウェイツは事件そのものより大きなものと、つねに闘っているのだ。

 とはいえ、もちろん一冊ごとに事件がある。今回のそれについてすこし書くと、十二年前、子供を含む三人もしくは四人(一人は遺体が発見されていないが、血痕が発見されている)を殺害した罪で服役中だった男が末期癌と診断され、病院に入院する。そこに火炎壜が投げ込まれ、男は無実を訴えながら死に、エイダンの相棒であるサティも瀕死の重傷を負う。死んだ男はほんとうに無実だったのか、だとしたら真犯人は誰なのか、病院に火炎壜を投げ込んだのは誰で、なぜか――。そこに、放火殺人犯の狙いはエイダンだったのかもしれないという説(その可能性はつねにある)も浮上し、事態は混迷を深める、というのがあらましだが、ここで私は、どうしてもサティについて言及したい。

 シリーズの一作目から、エイダンとサティは夜勤のパートナー同士だ。共に出世から大きくはずれ、同僚たちにも疎んじられている。本書でも「他人を不愉快にさせる天才」と紹介されているが、これはかなり控えめな言い方だ。サティの言動には、不愉快を通り越していつもぎょっとさせられる。こんな人がほんとうにいるのか? とおののく。このシリーズにわかりやすい人間は一人も登場しないし、それがこの小説の大きな魅力の一つでもあるのだが、主人公を含めたすべての登場人物のなかで、もっとも不可解で共感し難いのがサティだろうと思う。勤務態度はとてもほめられたものではなく、誰に対しても無礼で、事件解決の役にほとんど立たない。それなのに、そのサティが本書のなかで重傷を負ったときの衝撃といったら――。憎めないとか、独特の魅力があるとかの話ではない。そうではなく、ともかくこの人はこの小説世界になくてはならない存在で、それはたぶん、作者の世界観と関係があるのだ。善悪にしても優劣にしても美醜にしても敵味方にしても、この世は何一つシンプルではないし、それどころか、基本的に不条理なのだ、というそれは世界観で、その不条理を見事に体現しているのがサティなのだろう。

 今回、エイダンはそのサティ抜きで捜査にあたる。サティより数段有能な女性パートナーと組むのだが、例によって誰も信用できないエイダンは、彼女のことも(すくなくとも完全には)信用できない。でも誰が彼を責められるだろう。因縁の敵から執拗に命を狙われ、同胞とも言うべき人間から脅迫され、何者かの陰謀によって身に覚えのない罪を着せられかけ、最後の手段だった逃亡資金まで奪われて、エイダンは追いつめられに追いつめられる。こんなに孤独な主人公もいないだろう。警察組織が腐敗していて、刑務所が腐敗していて、社会システムが腐敗していた場合、犯罪者と公権力のどちらがよりおそろしいのか。

 ところで、エイダン・ウェイツはすさまじい過去の持ち主でもあり(そのへんは、二作目『笑う死体』に詳しい)、この世でただ一人、妹を愛しているのだが、「パブで軽く引っかけるウィスキーも楽しみだし、帰り道、袋のなかで瓶がぶつかり合う軽やかな音も楽しみだ」という、およそエイダンらしからぬあかるく幸福な記述が本書にはあり、私はこの場面を読めたことが、心からうれしい。

(えくに・かおり 作家)

新潮社 波
2021年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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