マギー・オファーレル・インタビュー ウィリアムのいないシェイクスピア家物語

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ハムネット

『ハムネット』

著者
マギー・オファーレル [著]/小竹 由美子 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784105901769
発売日
2021/11/30
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

マギー・オファーレル・インタビュー「ウィリアムのいないシェイクスピア家物語。」

[レビュアー] 新潮社

マギー・オファーレル・インタビュー「ウィリアムのいないシェイクスピア家物語。」

 
コロナ禍がイギリスに蔓延しつつあった2020年3月末に刊行されるや、権威ある女性小説賞を受賞。注目の作家は、400年前のパンデミックで息子を喪ったシェイクスピアの妻に、新しい人物像を吹き込んだ。

マギー・オファーレルの八番目の小説は、過去のパンデミック――黒死病――を背景とした物語だ。この病は十六世紀のヨーロッパを荒廃させ、ウィリアム・シェイクスピアという田舎の若者が新しい歴史を作ろうとしていたロンドンの劇場群を定期的に閉鎖させていた。シェイクスピアはこの小説では名前を明かされないままで、十一歳の男の子の、愛情深いもののほとんど家にいない父親であり、その男の子の死が物語の中心となっている。かの劇作家にはハムネットという息子がいて、疫病の年の夏の盛り、『ハムレット』初上演の四年前に死んだ、というのは記録されている事柄である。男の子の死因が「ペスト」だったというのは、オファーレルによる知識に基づいた推測だ。 

「フェミニストの報復の天使」と呼ばれる作家らしく、オファーレルはハムネットの母親、アン・ハサウェイの声を取り戻す。作者の言う、およそ五百年ものあいだ「ビックリ仰天するような悪口と露骨で臆面もない女性蔑視」にさらされてきた女性である。「彼女は無知な百姓あがりの売春婦で、天才少年を誑かして結婚し、夫は彼女が大嫌いだったので逃れるためにロンドンへ脱出しなくてはならなかった、とわたしたちは聞かされてきました。どこからこんな発想になるんでしょう? どうしてみんな、自由奔放な男性芸術家像にこだわるあまり、彼女をこき下ろさなくちゃならないんですか?」 

教区記録によると、アンは父親からはアグネスと呼ばれてかなりの持参金を遺贈されており、後年彼女は麦芽製造(醸造業のために麦を麦芽にする)事業を成功させている。「はい、恐らく彼女は文盲だったでしょう、十六世紀の牧羊農家の娘が、読み書き教育を受けているわけがないですよね? 無意味だったでしょうから。でも、読み書きできないからって愚かだということにはなりません」とオファーレルは言う。 

「もう一つ重要なのは、仕事人生終盤のシェイクスピアは並外れた成功を収めた実業家で、どこにでも住めたのに、ストラトフォードへ戻るという選択をしたということです」と彼女は付け加える。「彼はハムネットが死んだ翌年、妻と二人の娘のために広大な屋敷を購入しましたが、ほかにも畑やコテージを幾つも買って人に貸していました。どれも、結婚を後悔している男のやることとは私には思えません。彼女のことを考えるとものすごく腹が立って、読者に、彼女について知っていると思っていることはぜんぶ忘れて新しい解釈に心を開いてくださいって言いたかったんです。あの結婚を対等な関係のパートナーシップと考えてみてくださいって」 

この解釈は、イギリス文学の最もよく知られた戯曲のいくつかについて興味深い疑問を提起する。『ハムレット』の狂ったオフィーリアにあんなにも生気を吹きこんでいる薬草について、この作品全体に数々のメタファーを提供している鷹匠術について、シェイクスピアはどうやってあれだけの知識を得たのだろう、とオファーレルは考えた。この小説では、こうした知識はアグネスから教わったものだと推測している。彼女は、賢明にも、落ち着きのない年下の夫に二つの生活を送らせておく女性である、片方は彼女の理解を超えたものであるにもかかわらず。

アグネスのじつに興味深い、馴染みのない世界を構築するのに必要な実践的リサーチは、チョウゲンボウを飛ばせるのはどんな気分なのか体験してみることから、エリザベス朝の薬草を種から育てること、植物から十六世紀の母親が病気の子どもに与えたようなチンキ剤や万能薬を作るレッスンを受けることにまで及んだ。 

また、オックスフォード英語辞典と照合する骨の折れる作業も必要だった。「頭のなかでprivy(奥の、内々の、属する)セリフと呼んでいるものがあったんです。プリヴィーなんて言葉とかエリザベス朝っぽい会話はぜったい使わないつもりでした」と彼女は言う。 

だが、この小説で燃え上がる激しい母の愛については、リサーチの必要はなかった。二〇一七年刊行の回想録『I Am, I Am, I Am』のなかで、オファーレルは娘の一人が極度のアレルギーに悩んだときのことを綴っている。「子どもが、うちの娘もそうでしたが、まさに中世さながら一日二十四時間苦しむ(皮膚炎で)なんて、親にとっては絶体絶命の窮地です」と彼女は話す。「娘を助けたければ逆さ吊りになれと言われたら、そうしていたでしょう」代わりに、従来の治療法に失望した彼女は、天然バターと薬草で、アグネス・ハサウェイも褒めてくれそうな鎮痛効果のあるローションを作った。彼女は今でも年に四回まとめて作っている。「作るのが好きなんです。我が子のために問題を解決してやりたいというのは、母親にまさに本来的に備わった衝動です。わたしは編み物も絵を描くことも、手を動かすことは何もできませんが、これはできるんです」 

小説の不吉な雰囲気の漂う一節では、ペストが地球を移動する様が描かれる、アレクサンドリアのノミのたかった猿からストラトフォードの裁縫師の店へ、そこでハムネットの双子の妹ジュディスが、ベネチアンビーズの詰め物から感染する。書いている時点では、イギリスの小さな町にある一軒家という狭苦しい舞台装置から小説を外へ開こうという意図による叙述だった。だが、最近の状況のおかげで、作者にとっても読者にとっても、強く喚起されるもののあるエピソードとなっている。今なお黒死病については強い民間伝承的記憶が残っていると作者は指摘する。その記憶は多くのヨーロッパの町々の風景に刻み込まれている―わけてもエジンバラでは、オファーレルの子どもたちは疫病の墓プレイグ・ピット穴と呼ばれる共同墓地の上に築かれた小山群を自転車で走りまわっていた。 

「このパンデミック体験のはじめのころ、わたしたちは皆、黒死病のことを思い返していました」と彼女は語る。そうした歴史的に重要な出来事を、想像力を広げ共感を込めて照らし出すのは、フィクションの任務の一環である。「わたしたちがどれほど恵まれているか忘れてはなりません、この現代の世界には、人工呼吸器や病院があり、勤勉な医療従事者たちがいるんですから。それに比べて彼らにあったものといえば、たぶんミルクで煮た玉ねぎと干したヒキガエルくらいのものですからね」

新潮社 波
2021年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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