『世阿弥最後の花』
- 出版社
- 河出書房新社
- ジャンル
- 文学/日本文学、小説・物語
- ISBN
- 9784309029689
- 発売日
- 2021/06/21
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
世阿弥最後の花 藤沢周著
[レビュアー] 安田登(能楽師)
◆自他の境界消える能空間
小説を読んだというのとはまったく違う異質な体験をした。その体験に誘うために著者は序章から挑発・誘導をする。序章は、晩年、佐渡に流された世阿弥の船上の道行(みちゆき)である。しかし、その語り手は若くして客死した世阿弥の長男、元雅だ。死者、元雅の目は、風景や装束をきわめて丁寧に描写する。そのあまりの丁寧さに、先に先にと読み進めようとする目の動きは制止され、死者とともに従容たる歩みを運ぶこととなる。
作中には、能の演目や能芸論の中の言葉、そして順徳院や後鳥羽院らの歌も引かれる。これだけ多ければ読み飛ばすことはできない。古典を読む速度でゆっくりと、そして低吟しながら読み進める。
佐渡が見えた時、世阿弥は般若心経を唱えつつ、能の形の合掌をする。著者はいう。能の形は単に舞うためのものではない、この天と地とにまっすぐにつながれた己(おの)れを、森羅万象の微細な一つ一つが動かしてくれると。ならば読者も読みながら、その形をすべきであろう。
実際には動かずともよい。脳内で著者の描く能の形をなぞり、そして引用された古典を喉(のど)の奥で低く声に出しながら読めばバーチャルな能空間がそこに出現する。これはもう読書ではない。舞台の上で能を演じているようだ。
死者であった語り手は一章では世阿弥になり、二章では本間信濃守の家臣、溝口朔之進になり、途中からは入り交じるようにもなる。シテとワキの対話が途中から交錯することによって、自他の境界が消え、ついには風景にまで溶け出す「共話」の手法だ。この小説は能なのだ。
ともに吟じ、ともに舞いながら読み進み、第五章の雨乞いの能に至ったとき、干天の地に降り注ぐ雨の中心に立つ鬼神の姿は確かに出現する。そして順徳院鎮魂の能「黒木」、老木(おいき)の「西行桜」と続くのだが、これに関してはとてもここでは語り得ない。
世阿弥は古典を立体化してまったく新しい夢幻能というものを作り上げた。本書は、能の新しい可能性を開いたのではないだろうか。
(河出書房新社・2200円)
1959年生まれ。作家。『ブエノスアイレス午前零時』『箱崎ジャンクション』など。
◆もう1冊
古川日出男著『平家物語 犬王の巻』(河出書房新社)。能楽師・犬王の物語。