【聞きたい。】パウエル中西裕一さん 『ギリシャ正教と聖山アトス』
[文] 桑原聡(産経新聞社 文化部編集委員)
■神にふさわしい自己 取り戻す
エーゲ海北部に細長く突き出たアトス半島に、ギリシャ正教最大の聖地であるアトス山がある。20の修道院が点在し、およそ1700人の修道士たちが中世さながらの祈りを中心とした暮らしをしている。
本書は「いつかはアトスの体験を日本の人々に伝えなさい」という修道院の長老の言葉に促され、聖山アトスはどのような世界なのかを具体的につづったものだ。物質的欲望の虜囚となりがちなわれわれに、いくつもの気付きをもたらす。
大学で古代ギリシャ哲学を講じていた著者は20年ほど前に洗礼を受け、聖地巡礼を続けてきた。哲学では「真の救い」にたどり着けないと感じたためだ。
「自分のなかに備わっている神の像を手本として、神にふさわしい自己を取り戻していくことこそ、正教徒としての人生」と著者はいう。「神の似姿として造られた人間には自由意志が備わっています。それゆえ神に背くこともできる。正教では自由意志を誤った方向に用いることを罪と考え、原罪という概念はありません」
正教のこうした教えを、現代日本人のどれほどが受け入れられるのか。「恩寵(おんちょう)は迎え入れる真空のあるところにしか入っていけない」という哲学者シモーヌ・ヴェイユの言葉が浮かぶ。
著者は「こころという受け皿をエゴイズムで満たさなければ、神を受け入れる余地が生じるということでしょう。そのために正教徒は痛悔(つうかい)(悔い改め)を通して、こころの貧しい状態になろうとしているのです」と説く。
世俗に注ぐ視線も鋭い。たとえば、小田急線車内で起きた無差別刺傷事件。「容疑者の考え方は、司祭として日常触れている信者の痛悔の言葉に重なる。つまり、日本の社会が隠蔽(いんぺい)している考え方や感情が彼の言動を通してあらわになったとも言えます。その視点は失ってはならない」(幻冬舎新書・1056円)
桑原聡
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【プロフィル】パウエル中西裕一
ぱうえる・なかにし・ゆういち 昭和25年、東京都生まれ。日本ハリストス正教会東京復活大聖堂(ニコライ堂)司祭。元日本大教授(古代ギリシャ哲学)。