すさまじい筆力で迫る人間の「健常と異常」

レビュー

10
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エルサレム

『エルサレム』

著者
ゴンサロ・M・タヴァレス [著]/木下 眞穂 [訳]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784309208282
発売日
2021/05/24
価格
3,245円(税込)

書籍情報:openBD

すさまじい筆力で迫る人間の「健常と異常」

[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

 ポルトガルの作家による衝撃的な、狂気と恐怖と痛みの物語である。主に数名の人物が過ごす夜中から未明までの数時間が濃密に描かれる。

 冒頭、死病を抱えた「ミリア」は胸のうちでつぶやく。「痛み。痛み、これこそあたしの人生の核となる言葉」と。腹部の痛みがおさまらない。「病気になるっていうのは、失敗」と言うが、この死病に罹ったのは、ある理不尽な処置のせいなのだ。彼女は夜の町に出て、閉まった教会にたどりつき、その壁に放尿しようとする。

 同じ頃、ミリアの元恋人「エルンスト」は自殺しようとしていた。ふたりは同じ精神病院に入れられていたことがあり、エルンストはその院長と再会後、何かを終わらせようとしていた。そこに電話が鳴る。

 一方、ミリアを離縁した元夫で医者の「テオドール」は、娼婦を買おうと夜の通りを歩いている。彼は有力国会議員の父をもち、男女の役割が明確な家庭で育った。過去に起きた虐殺事件を調べあげ、人の心と歴史をグラフ化できると思っている。

 そして、彼が出会った娼婦の情夫らしき「ヒンネルク」も銃を手に街を徘徊している。

 すさまじい筆力だ。これは、ある夫人と帰還兵ら数人の視点で一日を描きだしたウルフの『ダロウェイ夫人』の「闇バージョン」とも言えるのではないか。

 心を病み自殺願望のある婦人、戦争のトラウマで精神障害を抱える男、精神科医の存在が引き金となる窓からの身投げ、夫以外の男性との関係……。『ダロウェイ夫人』は人の正常と狂気を書こうとしたが、テオドールは人間の「健常と異常」の区別に異様にこだわっている。また両作とも、ある者がある女性の「身代わり」となり、女は生き延びる。

 これら重なる点はあるが、『エルサレム』の苦しみははるかに苛烈だ。今年読んだ中で一番のインパクト。ぜひご一読を。

新潮社 週刊新潮
2021年9月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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