“海の無法さ”が教える管理された日常の脆弱さ

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“海の無法さ”が教える管理された日常の脆弱さ

[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)

 ミクロネシアの海で一カ月ほどマグロ漁船に乗船取材したときに、船長が、船というのは小さな国と同じだから……とぼそぼそつぶやいていたのが忘れられない。本書を読んでその言葉を思い出した。

 海はとても身近にありながら、何が起きているのかわからない最も遠い世界でもある。だから、陸の常識ではとても考えられないような不法行為がまかりとおっている。違法操業をくりかえす漁船、あからさまな人身売買や奴隷労働、海賊、対立漁船への攻撃等々、殺人だってめずらしくない。だが、こうした海の不法行為は、文明社会にはまず伝わってこない。なぜなら法をすべる国家は定住民や領土といった固定したものからなりたっており、海上を自由に遊動する船舶をとりしまろうとしても、コストが高くつきすぎるし、関心もわかないからだ。要は人を殺したって海に投げすててしまえば、発覚しようがないのである。

 法をかいくぐるのは、ならず者たちばかりではない。海上の砲台を勝手に占拠して独立国家を宣言する英国の変人親子や、ヨットで中絶手術をほどこす医師、海賊に対抗するための武装化をすすめる商船や漁船も、海の盲点を利用しているという意味では同じだ。捕鯨で対立する日本の調査船団やシーシェパードもそうだし、本書では触れていないが、中国の海洋進出だって海だからできる話である。

 私の家からは十分歩けば海がひろがる。そこから船でちょっと旅立つだけで、力と暴力によって弱い者が虐げられる、マッドマックスのような無秩序な世界が広がっている。ちょっと単純化した構図ではあるが、そう考えると、驚くような話ではあることにまちがいはない。海の無法さをさらけだすことは、じつは陸上世界における管理された日常の脆弱さを明らかにすることでもある。一番身近な未知の世界に深いメスをいれた調査報道の金字塔だ。

新潮社 週刊新潮
2021年9月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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