〈東京湾臨海署安積班〉の最新刊! 長編では味わえない魅力とはなにか? 短編も読まないともったいない!

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暮鐘 東京湾臨海署安積班

『暮鐘 東京湾臨海署安積班』

著者
今野 敏 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413879
発売日
2021/08/10
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

今野敏の世界

[レビュアー] 関口苑生(文芸評論家)

《東京湾臨海署安積班》の短編シリーズに溢れる魅力とは?

 ***

 短編小説の最大の良さは、何よりもまず短いことであると言った人がいた。しかし、ただ単に短いというだけでは広く受け入れられるはずもない。短いとはいえ、その中には登場人物たちの「生活」や「人生」が、じわりと垣間見えてきて、それが読む人の心をときには優しく、ときには激しく揺さぶるからこその魅力なのだ。

 今回の『暮鐘』を含む今野敏の《東京湾臨海署安積班》の短編シリーズは、そうした短編の魅力と素晴らしさが際立っていることで特筆に値する。ここでの物語の主軸は安積剛志係長だけには限らない。彼を筆頭とした安積班のメンバーと臨海署の同僚たちの日常と行動が、各編ごとにひとりひとりの視点と立場を通して語られていくのだ。

 とはいえ、彼らの日常とは一般人にとってはおよそ想像もつかない非日常きわまりないものだ。そんな、ある意味で特殊な“日常”が淡々と描かれていくのである。

 たとえば冒頭の「公務」だ。政府による働き方改革推進の方針で、定時帰宅推奨、残業削減というお達しが臨海署内に発せられる。警察官は地方公務員であるから、これに従わないわけにはいかない。しかし、警察や消防の公務というのは、勤務時間に仕事を合わせるのではなく、世の中で起きることに応じて対処しなければならないものだ。事件や火災はいつ起きるかわからないのである。そんなことには関わりなく、とにかく休めと言われるのは理不尽この上なかった。何の配慮もないままに、一律に押しつけるだけの政府の方針に対して、警察官側から見た日常業務のありようがここに窺える。

 あるいはまた「別館」は、これこそ一般人には滅多に(いや絶対にかも)お目にかかることが出来ない状況が描かれる。臨海署管内の海上で人質事件発生の恐れがあるという知らせが発端。安積らは水上安全課の船で現場に向かうが、その後が凄い。海保の巡視艇が来るわ、警視庁からWRTも出動、さらにはSATとSIT、海保からはSSTも投入とさながら特殊部隊の品評会のごとき様相を呈していくのである。この派手さはちょっと他に類を見ないほど凄いぞ。

 その一方で「確保」のような、しみじみと味わいたい一編もある。こちらは強行犯第二係の荒川刑事が印象的に描かれている。彼はコンビを組む日野刑事とともに『炎天夢』や『捜査組曲』所収の「オブリガード」などにも登場しているから、覚えておられる方もいるだろう。その荒川が、上司である相楽係長の安積に対するもどかしい心情を、そっと安積に打ち明ける場面は秀逸。そこには、ベテラン刑事が長年培ってきた人を見る眼の確かさが溢れている。

 安積班のメンバーを描いたものでは、桜井巡査がメインとなる「大物」と、黒木巡査が主役となる「実戦」が忘れがたい。

 安積は桜井のことを、上司の村雨から厳しい指導を受けているのでないか、絶対服従を押しつけられているのではないか、そのせいで飼い犬のようになっているのではないかといつも心配している。ところが、ある事件のおりに村雨にその旨を伝えると、村雨は苦笑しつつ、「桜井はそんなタマじゃないですよ」と断言する。やがてその言葉が真実であることを安積は思い知らされる。桜井は途方もない大物だったのだ。

 同様に安積は、よく知っていたようで実は何も知らなかったという事実を、須田と組む黒木のことでもまざまざと目にしてショックを受ける。それも自分ひとりが知っていなかったようなのだ。

 乱闘騒ぎが起きているとの無線を受けて現場に向かった安積らだったが、十人ばかりの若者が暴れているところにふらりと黒木が歩きだし、伸縮式の警棒を取り出すとたちまちのうちに相手を打ち据え、これを制圧したのである。唖然とする安積を見て、須田は「なんせ、剣道五段ですからね」と当たり前のことのように言う。それは安積がまったく知らなかった黒木の姿だった。

 ほかにもまだまだ多くの作品について紹介したいが、中でも個人的に好きな一編が「部長」だ。捜査本部が立ち上がり、警視庁本部からやってきた人数に合わせるため、臨海署も強行犯以外の部署から人員を確保しなければならなくなる。そこにやってきたのが、白髪混じりの大ベテラン、地域課の大牟礼巡査部長だった。彼は野村署長よりも年上であるにもかかわらず、今でも寮に住む、つまり独身の警察官だった。なぜ彼がそんな生活と人生を送っているのか、それが次第に明らかになるにつれ身体が熱くなり、胸が詰まる思いがしてくるのだった。

 とまれ、ここに描かれているのは刑事たちの、仲間を思いやり、人を信じる気持ちの尊さである。それと同時に、警察官として“正義”をまっとうしようとする者たちの真摯な生き方と態度である。

 まったく、本当にこのシリーズは奥が深くてたまらない。

角川春樹事務所 ランティエ
2021年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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