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存在しない時間の中で

『存在しない時間の中で』

著者
山田 宗樹 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758413909
発売日
2021/08/10
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

山田宗樹の世界

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)

山田宗樹が、ついに宇宙そのものの謎にまでたどりついた。

 ***

『百年法』以降、『ギフテッド』、『代体』、『人類滅亡小説』と、SFのネタでミステリーを(もしくはミステリーの手法でSFを)書きつづけてきた山田宗樹が、ついに宇宙そのものの謎にまでたどりついた。この宇宙は、だれが、なぜ、どのようにしてつくりだしたのか? 『存在しない時間の中で』は、宇宙創造のフーダニット(犯人)とホワイダニット(動機)とハウダニット(方法)を追う、まさに究極の謎解きミステリーだ。

 物語は、現代日本の某大学構内に本拠を置く宇宙論研究機関のセミナー室で幕を開ける。若手研究者数人が開く小さな自主セミナーの席上、担当者が発表のために立ち上がったそのとき、見知らぬ青年が部屋に入ってくる。無言でホワイトボードの前に立ち、おもむろに数式を書きはじめる青年。AdS/CFT(反ド・ジッター空間/共形場理論)対応から始まったその式は、ホワイトボード二十三枚分にも及び、参加者がスマホで撮影した写真が残されたものの、問題の青年は、そのあと忽然と姿を消す。この膨大な数式は何を意味しているのか? よくできた虚構なのか、それとも宇宙の秘密を解き明かす“本物”なのか?

 セミナーのメンバーが問題の数式を論文にまとめてアーカイブに投稿したところ、意外にも、超弦理論を専門とする世界的に有名なアメリカの理論物理学者、アレキサンダー・クラウスが反応し、長いステートメントを発表した。

 いわく、「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」とかつてガリレオは記したが、現代の宇宙論でも、数学と物理学は分かちがたく結びついている。モノであるはずの宇宙がなぜ数学理論に従っているのか? 宇宙の設計図が数学で書かれているとしたら、いったいだれがそれを書いたのか?

 謎の青年の数式が正しいとしたら、宇宙の本質は二次元平面にあり、われわれの三次元宇宙はそのホログラムだということになる、とクラウスは言う。だとすれば、その二次元平面に、“宇宙の設計図”が格納されているのではないか?

 宇宙を設計した〈何者か〉は、もし仮に実在するとしても、これまでは想像上の存在でしかなかった。しかし、いま、事情が変わった。同様の謎の青年は、クラウス博士のオフィスにも現れ、数式を記した紙の束を残して消えた。似たような出現情報が、全世界の研究機関から寄せられている(のちの集計では、すくなくとも二十三件)。ただのいたずらではありえない。もしやこれは、〈何者か〉がコンタクトの意思を示しているのでは?

 この仮説を実証するため、クラウス博士は、全世界に向けて、ある“実験”を提案する……。

 問題の“クラウス実験”が行われるのは、小説全体のだいたい四分の一を消化したあたり。そこから世界は大きく変貌し、物語は予想外の方向に進みはじめる。

 宇宙が〈何者か〉につくられたものではないかというアイデア自体は、ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙」以来、SFの世界では珍しくない。ディック「世界をわが手に」、ハーネス「現実創造」から、鈴木光司『ループ』まで、過去に多数の例がある。

 そもそも、作中でも言及されるとおり、知性を持つ〈何者か〉が宇宙を設計したという説は、いわゆるインテリジェント・デザイン論(ID論)そのもので、創造論(旧約聖書にあるとおり、造物主が万物をつくりだしたとする考え)とも近い。実際、現代SF最高の短編作家と目されるテッド・チャンの最近作「オムファロス」では、神の実在が証明され、創造論が正しかったことが科学的に裏づけられた世界における科学者の苦悩が描かれている。

〈神〉というテーマに正面から挑み、宇宙の秘密を解き明かした長編では、山本弘『神は沈黙せず』の例がある。“科学的にありえる神を論理的に考察することに挑戦した”と著者が語る同書は、あらゆる超常現象を俎上にのせ、“単純で合理的な説明”を探し求めたあげく、驚くべき結論にたどりつく。

 それらの先行作に対し、本書の特徴は、超弦理論やホログラフィック宇宙論をはじめ、現実の宇宙論の最先端をエンターテインメントに接続した点にある。全世界で二千九百万部を売り上げた劉慈欣《三体》三部作の第三部『死神永生』では、超弦理論を発展させたM理論を下敷きに独自の宇宙論が展開されるが、エンターテインメント性では『存在しない時間の中で』も負けていない。三百ページ少々のコンパクトな分量に知的スリルと意外性を詰め込んで、読者をぐいぐいひっぱっていく。語学学校の中国語教師・莉央にクラウス実験がもたらした思いがけない変化がドラマを生み出し、物語は予想外の場所に着地する。ふだんSFを読まない読者でも“宇宙の秘密”がわかった気になれる、一気通読の宇宙論ミステリーだ。

角川春樹事務所 ランティエ
2021年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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