「合理的配慮」を実現するためのヒント

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発達障害・知的障害のための合理的配慮ハンドブック

『発達障害・知的障害のための合理的配慮ハンドブック』

著者
土橋 圭子 [編集]/渡辺 慶一郎 [編集]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174597
発売日
2020/12/18
価格
2,860円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「合理的配慮」を実現するためのヒント

[レビュアー] 村木厚子(津田塾大学客員教授)

はじめに

 2006年、障害者権利条約が採択された。この条約の策定に当たっては、当事者である障害者が初めて主体的にかかわった。これを機に、これまで保護の客体と捉えられがちであった障害者が、権利の主体として捉えられるようになり、日本国内においても、以降は障害者政策の策定過程に当事者である障害者が主体的に関わることが当たり前になった。様々な面で、以後の障害者政策に大きなインパクトをもたらした条約だが、私がとりわけ感銘を受けたのは、条約に定められた差別の定義だった。障害を理由とする差別に「合理的配慮の否定」が含まれることを明示したのだ。「合理的配慮」とは「障害者が他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的自由を共有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場面において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を貸さないものをいう」と定義されている。そうか、単に排除や制限をしないだけではなく必要な配慮を行って、初めて「差別していない」と言えるのだ、差別の概念が進化したのだと感激したことを覚えている。同時に、実際には何が合理的配慮か、どこまでやればいいのか、難しい議論になるだろうという思いもよぎった。

 この条約の批准のため、国内法の整備として2011年に障害者基本法の改正、2013年に障害者差別解消法の制定と障害者雇用促進法の改正が行われた。障害者雇用促進法では、全ての事業主に対し、雇用の分野における差別を禁止する規定を設けるとともに、合理的配慮の提供を義務づけた。また、障害者差別解消法では、行政機関、民間事業者に対し、事業を行う際に障害を理由とする差別を行うことを禁止するとともに、行政機関に対しては、合理的配慮の提供を義務づけ、また民間事業者に対してはこれを努力義務とした。

 これらの法律の施行に際しては、多くの事業者等から、何が合理的差別かというガイドラインを作ってほしい、どこまでやればいいのか具体例を示してほしいという要望が強く出された。行政機関でもガイドラインを示したり、実例などを示して周知に努めてきた。しかし、そもそも、合理的配慮が求められる場面は多様であり、当事者の障害の程度や態様もまちまちであり、さらには、事業者の対応能力も千差万別で、個々の事例に対応できるガイドラインを作ることはそもそも至難の業だろう。とはいうものの、あまりに一般化されたガイドラインでは、具体の問題の解決には役に立たない。現実の様々な場面で、何が必要な「合理的配慮」か、どうやれば提供する側に過重な負担がかからず、かつ障害のある人にとって必要な「合理的配慮」をしっかり確保できるかということを考えるためのよき解説書が求められている。そこにチャレンジをしたのが、本書である。

本書をこう読んでほしい

 本書は、発達障害や知的障害のある方の暮らしの様々な場面で何が「合理的配慮」として求められるのかを、多くの事例を通じて明らかにしようとするものである。本書は「総論」のほか、「学校教育」「大学」「医療機関」「就労」「医療型・福祉型障害児入所施設、福祉作業所」「家族からみた配慮」「災害時における子どもの配慮」の7つの章で構成されている。

 各章で、想定される様々な場面を設定し、障害のある人がよく遭遇するであろう、また、関係者が対応に悩むであろう状況を選んで3つのケースを設定し、それぞれのケースでどういった合理的な配慮が求められるのかをその事例ごとに示している。設定された事例は57に上る。

 本書の特徴は、それぞれの事例に対して、「法律」「医療・心理」「教育」の3つの視点から、それぞれの分野の専門家が、どういった合理的配慮が必要かを解説している点だ。専門が違い、視点が変わることで、その解説や提示される解決策は必ずしも一致しない。本書を一種の対応マニュアルとして、自分の遭遇している状況と似た事例を探し、一つの「正解」を求めようとすると、簡単にはそれにたどり着けず戸惑うかもしれない。しかし、そこに本書の真髄があるように思う。なぜなら、現実の問題の解決に当たっては、関係者が相互にコミュニケーションを取り、協力しながらよりよい解答策を探していかなければならない。本書はその際に役立つ、基本的な考え方や、答えを見つけるための視点を提示しているのだ。

 この本を手に取る人は、障害のある方やその家族であるかもしれないし、あるいは、障害のある人の暮らしを取り巻き、教育、就労、医療、福祉などを提供する者、すなわち、合理的配慮を提供する義務を負う人達かもしれない。読者が後者の場合、お願いしたいことが一つある。この本を、ご自分が仕事上関係のある部分、あるいは関心のある部分だけでなく、一度は通読してほしいということだ。

 2004年に発達障害者支援法が議員立法により制定されたとき、法制定のために奔走されていた親御さんから聞いた以下の話は印象的だった。障害に対する社会の理解はまだまだ十分ではない。とりわけ発達障害についての理解はまだまだだ。そのために、いろいろな場面で、社会の無理解という壁に遭遇する。発達障害のある子どもを持つ親は、その障害に気づき医師の診断を受け、療育の専門家の支援を受けながら、その子を育てるために必要な知識やスキルを自ら身に着ける。子どもが幼稚園や保育園に行くことになると、保育士や幼稚園教諭に発達障害のことを勉強してもらい、我が子の特性や対応方法(流行の本の題名を借りれば「トリセツ」)を知ってもらう。やっと慣れたころ、子どもは小学校に上がるので、また、同じことを小学校の先生に対して行う。次は中学校、高校、大学、さらには就職などと、直面する課題の変化に対応しつつ、親は、そして本人は、取り巻く環境の調整に膨大な労力を要している。社会の理解が高まり、支援が増えることでこの負担を少しでも軽くしてほしい。

 公務員として、自分の所管にだけ目が行きがちであった私は、障害をもった人の暮らし、あるいは人生全体に思いを致すことの重要性を教えてもらった。

 行政関係者はもとよりだが、障害のある人を取り巻く人々、例えば教育や医療や福祉や職場の関係者は自分が関わる分野にだけ目が行きがちだ。しかし、それでは、障害のある人の感じている不自由は実感できないし、他分野と連携しないと解決できない問題も多いはずだ。また、自分の深く関わっている分野については、現状がよくわかっているために、「できない理由」が次々と頭に浮かぶ。一方、自分と距離のある分野については、もっと冷静に、客観的に見て、大胆に対応策を考えることができるかもしれない。あるいは逆に自分たちのやっている方法で他分野にアドバイスできることがあるかもしれない。こうした理由から、ぜひ、この本を一度は通して読んでいただきたいと思う。

 全部読めと言った後で、ここがお勧めというのは叱られそうだが、お勧めは、「7章 家族から見た配慮」だ。当事者、兄弟、親の立場から書かれていて、大変勉強になる。とりわけ「第1節 当事者の立場から」は、とにかく「面白くてためになる」こと請け合いだ。ご本人の「自覚している特性」やご本人の考える「合理的配慮を実践する際の留意点」を述べたうえで、「住みやすかった/住みにくかった環境と体験談」と題してご自身の体験した「合理的配慮」を考える上で役に立ちそうなエピソードを、年齢を追いながらたくさん紹介してくれている。とにかく、じっくり味わって読んでほしい。

私の好きな合理的配慮

 障害者差別解消法が施行された時に、私がよく「合理的配慮」の説明に使用していた実例がある。三重県の鳥羽市でNPOが実施している電話による障害者のための観光案内だ。この観光案内には鳥羽市を訪れようとする様々な障害者の人たちから問い合わせの電話がかかってくる。電話をかけてきた人たちは、最初、こう訊く。「車いすでも楽しめる場所はどこでしょうか」。そこで、電話を受けた相談員は「あなたは、鳥羽で何をしたいですか」と訊き返し、「温泉に入りたい」「アワビを食べたい」という答えを引き出す。そのうえで相談員はこう提示をする。「完全バリアフリーで浴場まで行ける旅館があります。もう一つは、最後に段差があって、そこは従業員が車いすを抱えることになりますが、露天風呂のある旅館があります。どちらがいいですか」「車いすで入れる高級なレストランで、地元のアワビを食べさせてくれます。もう一店、地元の居酒屋で安くておいしいアワビを食べさせるところがありますが、そこは玄関に段差があって、店の人が担いで、車いすを上げてくれます。忙しくて店の人ができないときは、常連の客が必ず、それをやってくれます。どっちの店がいいですか」

 この話は合理的配慮のあるべき姿をよく表している。しっかりとしたコミュニケーションをとる中で、まず、ゴールは何なのか、何を達成したいのか、それを明確にする。柔軟に考え、様々な選択肢、可能性を追求する。そのうえで、当事者の意思をしっかり把握して、それに基づいて最終決定をする。本書が指向しているあるべき合理的配慮の実現の仕方を見事に表現した事例だろう。この事例には「おまけ」がついている。この観光案内のおかげで、障害者のみならず高齢者の観光客も増え、地域の観光産業の発展にも大きな効果をもたらしたというのだ。これまでも言われてきたように、障害のある人が暮らしやすい社会は、誰もが暮らしやすい社会なのだ。

 本書のテーマは障害であるが、障害がなくとも、誰もがハンディや生きづらさを抱えている。そのハンディや生きづらさに対して、様々なシチュエーションでこの「合理的配慮」という考え方を持ち込むことができれば、誰もが暮らしやすくなるのではないか。その意味でも、ぜひ、本書を多くの方が手に取ってくださることを期待している。

有斐閣 書斎の窓
2021年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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