異世界の冒険の果てに辿り着いたのは 大人があらゆる子供の「親」となる姿――『亜ノ国ヘ 水と竜の娘たち』柏葉幸子著 書評

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亜ノ国ヘ 水と竜の娘たち

『亜ノ国ヘ 水と竜の娘たち』

著者
柏葉 幸子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041095553
発売日
2021/07/14
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

異世界の冒険の果てに辿り着いたのは 大人があらゆる子供の「親」となる姿――『亜ノ国ヘ 水と竜の娘たち』柏葉幸子著 書評

[レビュアー] 吉田大助(ライター)

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■『亜ノ国ヘ 水と竜の娘たち』柏葉幸子著 書評

■評者: 吉田大助

 柏葉幸子は、和製ファンタジーの作り手として孤高の存在感を放つ。東日本大震災と東北の民話を融合させた『岬のマヨイガ』は第54回野間児童文芸賞を受賞し(同作を原作とするアニメ映画が8月27日より全国公開)、1975年刊のデビュー作『霧のむこうのふしぎな町』が、宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』に「影響を与えた」(2019年刊の愛蔵版の紹介文より)という逸話も有名だろう。実際にどんなところに「影響を与えた」かというと、その一つは「不思議な世界で働くことになる少女」という点にある(『ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し』より)。
 これまでは児童文学のフィールドで活動してきた柏葉幸子が、初の一般文芸として世に送り出した長編『亜ノ国へ 水と竜の娘たち』の主人公も、「不思議な世界で働く」ことになる。ただし、主人公は少女ではない。三〇代の女性だ。
 朴木塔子(「私」)は不妊治療中に夫が浮気をし、相手との間に子をなしたために離婚、実家に戻っていた。そんなある日、母の年の離れた従姉妹で、塔子と母が「ひらめちゃん」と呼ぶ特徴的な面立ちをした百歳の老婆が急逝する。遺言により土地と家は塔子のものとなるのだが、家の納戸の中を調べてみると、古びたトランクがあった。中には、アンモナイトの化石が。その渦巻きを覗き見たところ、塔子は異世界へとワープしてしまう。

亜ノ国ヘ 水と竜の娘たち 著者 柏葉 幸子 定価: 1,870円(本体...
亜ノ国ヘ 水と竜の娘たち 著者 柏葉 幸子 定価: 1,870円(本体…

 そこで出会った男たちの話によると、岩だらけのこの地は、亜ノ国の一角だった。ごく稀に塔子のような異人が現れ、「まれ石」と呼ばれ畏れられているのだという。塔子の扱いに困っている男たちを尻目に、この地の長の妻リフェは、六歳の娘ムリュの乳母に塔子を抜擢し、塔子に「ハリ」という新たな名を与える。実はムリュは、亜ノ国で60年に一度行われる「六祝様」を選ぶ儀式に参加することになっていた。塔子は乳母としてムリュを護り、儀式に勝ち抜くためのサポート役を務める。すると儀式が行われる亜の城で、亡くなったはずの、しかも若き日の「ひらめちゃん」を見かけ──。
 魔法と竜が当たり前のように存在し、女は子を産むために存在するのだと言わんばかりの、男系家父長原理に貫かれた亜ノ国の異様さ。「六祝様」を選ぶために幾度となく繰り返される、死と隣り合わせの抜き打ちテスト……。異世界の異世界たるゆえんを綴る筆致は、過去作以上に詳細かつ高密度だ。それらは全て塔子にとって障害となり危機となるものだが、彼女は怯まない。ムリュがいるからだ。初対面のシーンが印象的だ。

〈ムリュは素直にすぐ私に体をあずけた。(中略)柔らかな小さな体を抱きあげる。小さな人を抱くのは久しぶりだ。両手両足でしがみついてくる重さがうれしい。(中略)こんな世界に飛ばされるようにやってきて、どうなるかもわからない身の私にすがりつく子がいる。現実感がなく、この世界の上をふわふわただよっていた私を、ムリュの重みがこの世界の地面にゆっくりおろしてくれたような気がした〉

 ムリュの存在、血の繋がらない「娘」を守りたいという思いが、異世界に飛ばされながらも塔子が正気を失わずにいる理由となる。さらに文字通り「命懸け」の冒険をする過程で、塔子の中にかつてないほど「命」の火が灯る。ムリュのために、自分はこの異世界で絶対に死んではならないからだ。
 柏葉幸子は『岬のマヨイガ』を筆頭に、見ず知らずの子供と大人が出会い、血の繋がりのない親子関係を結ぶ物語を書き続けてきた。大人は子供を守る役割を担うが、それと同時に、子供の存在によって大人の側も支えられ守られているのだ。そのことが、大人を主人公=視点人物に据えた本作において、これ以上ないかたちで表現されていると言える。
 さまざまな「母と娘」の物語でもある本作が、男系家父長原理が敷かれた亜ノ国の社会システムを明確に批判しつつ、「母と娘」の関係もまた議論の俎上にあげている点に注目しておきたい。母は、娘の人生を支配する存在になり得るのではないか? 自分が辿ってきたものと同じ、あるいは違う人生を歩ませたいという意志を、同性だからという理由で押し付けていはしないか。「父」や「母」は時に、「子」に対して呪いを注ぐ存在となる。その恐ろしさが、異世界ならではの舞台設定を通してくっきりと輪郭づけられていく。ならば、どうしたらいい?
 本格ミステリーと呼んで差し支えないサプライズ発動ののちに、塔子はひとつの気付きを得る。赤ん坊が泣くのは、悲しいからだ、と。その悲しみを受け止め、〈ここにいることを喜んでくれる、よく生まれてきたと誉めてくれる〉役を担うのは、血縁関係にある実の母や父だけではない。〈誰の子でも関係ない〉。その役を担うのは、全ての大人たちだ。
 現在公開中の『竜とそばかすの姫』を始めとする、アニメーション監督・細田守の作品群とのシンクロを感じずにはいられなかった。子ども達を見つめる眼差しが、子ども達の実の親だけではまったく足りない。大人たちがあらゆる子供たちの「親」となり、目となり手を差し伸べることで、社会が変わる。大人たちがあらゆる子供たちに対して「父と息子」でも「母と娘」でもなく、「親と子」の距離感で愛を持って接することで、未来が変わる。
 ファンタジーは、その真実を伝える一助となる。本の中から、柏葉幸子のそんな声が聞こえた気がした。

KADOKAWA カドブン
2021年09月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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