デビュー20年の小説家がコロナ禍で考えたこと。『共犯者』著者、三羽省吾さんインタビュー

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共犯者

『共犯者』

著者
三羽 省吾 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041079676
発売日
2021/09/08
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

デビュー20年の小説家がコロナ禍で考えたこと。『共犯者』著者、三羽省吾さんインタビュー

[文] カドブン

インタビュー・構成/編集部

■『共犯者』著者、三羽省吾さんインタビュー
デビュー20年の小説家がコロナ禍で考えたこと。

三羽省吾さんの新刊『共犯者』は、ある殺人事件を追う週刊誌記者が、自分の弟の隠された過去に直面しながら、家族とは何か、血縁とは何かを追い求めていく、サスペンスミステリーです。コロナ禍における、生きにくい毎日のなかで、三羽さんはどんな思いでこの物語を作り上げたのか。そして、小説家としていま何をすべきなのか。その率直な胸の内を語っていただきました。

■『共犯者』を書こうと思った理由

 実際に事件が起こったとしても、モラルとかプライバシーとか倫理観とかの問題で、マスコミが報道しない事件を小説の題材として書きたいと思いました。これは報じないほうがいいのではないか、事件関係者も、取材者も躊躇してしまうような事件。血縁とか、養子とか、家族にまつわる複雑なことを書こうと思いました。
 ぶっちゃけて言うと、最初は、担当編集から提案されたいくつかの腹案があったなかで、もっとも書きたくないネタでした。こういう作品は書いたことがなかったですし。でも、2008年に刊行した『公園で逢いましょう。』を書いたあたりで、ネグレクトとか虐待とかPTSDなどに関する文献をいくつも読んで、いつかは書いてみたいとも思っていたのは確かです。まだ無理だなと思ってこれまで避けてきたけれど、担当編集からリクエストをもらったこともあり、今回は正面から立ち向かって書いてみようと思いました。
 でも、やっぱり調べれば調べるほど、書くのが怖くなったのも事実です。その人の性格や人格は、もちろん育ってきた環境によるところも大きいとは思いますが、でもなんだかんだ言っても、やっぱり血縁によって決定づけられてしまうことも多い。
 作中で夏樹は、兄の宮治と25年も兄弟として過ごしてきたけれども、じつは血がつながっていなくて、一方で、幼少期にわずか5年しか一緒にいなかったけれども血のつながっている妹の留美に対しては、より深い絆を感じてしまう……その「血縁がすべて」という思いを覆してみたかった部分もあります。

■書きながらメンタルをやられた

 プロット段階からストーリーを複雑にしよう、一筋縄にはいかない物語にしようと考えました。被害者である佐合という男についても、徹底的に救いようのない悪人として書けばシンプルな構成になったはずだけれど、佐合も複雑な家庭環境で育ってきて、悪人にもこんなやつがいるんだと、読んだ人に感じてほしかった。周囲の人間は「めんどくさいからアイツには関わらないようにしよう」「好きにさせておこう」とか、そういう小さなことの積み重ねが、佐合のような人間を育み、悲劇を生んでしまう。佐合も社会が生んだ犠牲者なんだと思います。実際に起こった事件の犯罪者心理を想像しながら書いていたので、メンタルが大きく揺さぶられて、かなりきつかったですね。

 これまでの作品もそうですが、小説では、自分なりの答えを出さないことにしてきました。ラストで答えを出して、それに対して「どうですか」と、読者に押しつけることはしたくない。もちろん、物語を閉じる意味で、ひとつの決着は書くには書きますが、それが正解だとは思っていないし、「これが正解だ!」と言わないように心がけています。

■コロナにおいて失われたコミュニティ

 青春小説を中心に、『刑事の遺品』のような警察小説や、今回の『共犯者』のようなサスペンスなど、さまざまなテーマの作品を書いてきましたが、たとえジャンルが変わったとしても、一環しているのは、そこにある「コミュニティ」を書いてきたつもりです。
 人が集まるグループのなかで、個人がどう生きるか。コミュニティのなかで、さまざまなバックグラウンドを持ったひとたちのさまざまな生き方を書いてきました。根底にあるものはデビュー時から変わっていません。
 今回の主人公である週刊誌記者の宮治は、家族だったり職場だったり、しっかり形成されたコミュニティがあるからこそ、強くなり優しくなれる。
 コロナ禍において、いまはそのコミュニティが失われています。だからこそ、その人がこれまでどういうコミュニティを持ってきたかによって、コロナ禍における生き方が問われていると思います。
 特に小さな子供たちはかわいそうですよね。学校とか部活とか、これからコミュニティを作っていこうというときに、コロナでその機会を奪われてしまいました。
 コロナ以降、オンラインで友人と飲み会などをやりますが、これはこれでいいなと思うこともありますが、対面での普通の飲み会を経験して知っているからこそ、相対的に比較することができる。遊びにしても、授業にしても、対面で何かをやることを知らない子供たちは、本当にかわいそうだなと思います。

■デビュー20年で思うこと

 『共犯者』を書き終えて、正直、今は何もやっていません。コロナが感染拡大してから、改稿や校正作業をやりながら、持続化給付金とか、住居確保給付金とか、あらゆる補償金制度を調べて、必死に申請手配しました。かつてやっていた広告のコピーライターの仕事もありません。この先、どうなるのだろうと思っています。

 2002年にデビューしてから、最初の10年は会社員として働いていて、二足の草鞋でした。それから会社を辞めて、小説家一本でやってきました。毎年たくさんの新人作家がデビューするなか、こんなに売れていないのに、こんなに長く続けられた小説家はなかなかいないのではないでしょうか。自分でも不思議です。でも、いろいろな出版社から、絶えず依頼がきたのはありがたいです。

 僕には得意ジャンルがないし、特定の色がついていない。ずっと同じジャンルの小説を書き続けることもすごいと思いますが、ヒット作が生まれていないから、各社の編集者がいろいろなネタを提案してくれて、そのリクエストに応えるべく、必死に書いてきました。ひとつのことに拘泥しなかったのは、よかったと思います。好きなもの書いていいと言われたら、この『共犯者』も生まれていなかったに違いありません。
 日々の暮らしのなかで、気づいたこと、思いついたことをノートには書き留めています。それを少しずつゆっくりと熟成させながら、これからも小説家として生きていきます。

KADOKAWA カドブン
2021年09月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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