血みどろ博徒の哀しみ 『さみだれ』 矢野隆

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さみだれ

『さみだれ』

著者
矢野隆 [著]
出版社
徳間書店
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784198653170
発売日
2021/08/26
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

血みどろ博徒の哀しみ『さみだれ』

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 御存じ、保下田(ほげた)の久六(きゆうろく)殺しから金比羅(こんぴら)代参、そして石松(いしまつ)の仇討ちとくれば、時代小説ファンなら誰でも心得ている清水(しみず)の次郎長(じろちよう)の一代記だ。ところが、ひょんなことから次郎長の客分となった江戸は駒込(こまごめ)生まれの流れ者、人呼んで皐月雨(さみだれ)の晋八(しんぱち)を主人公とした本書は、類書とはまったく違う作風の一巻となっている。

 何しろこの晋八、作中でも「抜きたい」「斬りたい」「殺したい」とばかりに、とにかく人を斬るのが好きで好きでたまらない。全編凄まじいばかりの血みどろスプラッター描写が炸裂する、呪われた一巻となった。

 こうした作品自体、規格外の代物なので、肝心の親分、次郎長も「俺ぁ争い事が苦手で痛ぇことも嫌ぇだ。だから望んで喧嘩をする気はさらさらねえ」とうそぶく始末。

 が、この長篇の面白さはこれらの趣向に止どまってはいない。主人公の特異さ、脇役の奇矯さばかりでなく、この次郎長の性格設定は、ラストで主人公を呑み込んでいく博徒の致し方なさへの伏線とも見て取れるのだ。伏線といえば、作中に示されている何人かの人物の述懐といい、この一巻は、一見、力まかせで描かれているようで、実は悪魔的な計算が行き届いているのだ、といえよう。

 その意味でラストで晋八が浮かべる笑いの何と哀しいことか―。

 結末に向かっていくに連れ、本書は血みどろの博徒物語から誰にも受け入れられなかった男の淋しい物語へと転じていく。作中にどれほどの血がながれていようとも、だ。従って、幾度も繰り返される「晋八。お前はいったい何者なんだ」という問いに気付いていないのは実は本人だけなのである。

光文社 小説宝石
2021年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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