草のみずみずしさ 感情と自然の文化史 アラン・コルバン著 藤原書店

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草のみずみずしさ

『草のみずみずしさ』

著者
アラン・コルバン [著]/小倉 孝誠 [訳]/綾部 麻美 [訳]
出版社
藤原書店
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784865783155
発売日
2021/05/27
価格
2,970円(税込)

書籍情報:openBD

草のみずみずしさ 感情と自然の文化史 アラン・コルバン著 藤原書店

[レビュアー] 長田育恵(劇作家)

人との関わり 紡ぐ物語

 感情史研究の第一人者である著者が開示してみせたのは、人間が草と共にあることで掻(か)き立てられてきた情動に着目し、豊潤な引用を糸として織り上げた精緻(せいち)で優美なタペストリーだ。引用元は創世神話から古代ローマ詩人、ユゴーやワーズワースらロマン主義文学者、フィリップ・ジャコテなど現代詩人まで多岐にわたる。古代から現代までの西洋文学・思想において、人間の感情がいかに凝視され、言葉にされてきたかを、草という独自の切り口から見渡した。

 まず著者は草と人間の思想的な結びつきから語り出す。創世記によると草の創造は人間の創造に先立ち、始原の風景を描き出すという。草をアニミズムの源泉と見做(みな)した人間は、波打つ草原また緑色自体に、生命力・永続性・沈黙・夢想・平穏などのメッセージを見出(みいだ)してきた。

 そして人が幼少期を過ごす草原は、嗅覚と視覚の無意識的記憶の揺籃(ようらん)となる。うつ伏せた時の青い香りや干し草の匂いなど、その極小の時間の思い出は、草と郷愁を強固に結びつける。

 次いで著者は、草の形態へと視点を変える。緑地や花壇など自然を抑制することで儀礼的な美を創出させた草の形態は、権力者の象徴ともなった。農奴の君主への隷属、植民地開拓政策として庭園へも怜悧(れいり)な視線を向けたのち、いよいよ情動が規制と抑圧を掻(か)い潜(くぐ)り、再び自然のままの草原に駆け出していく様を描き出す。

 丈の高い草原は繁殖する生命の舞台であり、人にとっても官能と歓喜が交わる場となってきた。緑に対する白い素肌、草の絨毯(じゅうたん)に横たわる感触など壮大な自然は五感を掻き立てる。様々な文学者たちが綴(つづ)り上げた生命の謳歌(おうか)ののち、人間は墓地へ。草の中の死という主題で終幕。

 本書は西洋文化だけを土壌とするが、草と人の間にある情動の多様性と表現の美しさに静かな興奮を味わう。著者の広大なレファレンスに身を委ね、言葉の草原で未知なる文学の風に吹かれる体験となる。小倉孝誠、綾部麻美訳。

読売新聞
2021年9月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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