世界の形が変わり誰もが挫けそうな今だけど、未来を信じてもう少しだけ生きてみよう【重松 清『かぞえきれない星の、その次の星』書評(1)杉江松恋】
レビュー
『かぞえきれない星の、その次の星』
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世界の形が変わり誰もが挫けそうな今だけど、未来を信じてもう少しだけ生きてみよう【重松 清『かぞえきれない星の、その次の星』書評① 杉江松恋】
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
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『かぞえきれない星の、その次の星』
著者 重松 清
■『かぞえきれない星の、その次の星』書評(1)
■評者・杉江松恋
手の届かない空の彼方で、星はしめやかに輝く。
その星の美しさが、重松清『かぞえきれない星の、その次の星』には描かれる。
書き下ろし一篇を含む十一の物語がこの本には収められている。作品の並びはほぼ、「小説 野性時代」に掲載された順になっていて、最初の「こいのぼりのナイショの話」は、こどもの日に起きている秘密の出来事を描いた短篇である。ファンタジーの要素があり、掲載誌で最初に読んだときは、挿絵の印象もあって童話のようだと思った。次の「ともしび」は、虫送りが題材となる一篇だ。稲につく、いなごなどの害虫を追い払うための民俗行事である。たいまつの煙でいぶされ、追い払われた虫はどこにも居場所がなくてさぞや心細いだろう。そんなことを思う人、身の置き所のない自分を追い払われる虫に重ね合わさずにいられない人の心に、この物語はそっと寄り添う。
新型コロナウイルス流行によって皆が苦しめられ、世界の形は大きく変わってしまった。もっとも辛いのは、感染防止のため会いたい人と会えないことではないだろうか。二つのスケッチで鮮やかにそうした時代のありようを描いたのが、三話めの「天の川の両岸」である。七夕の故事に倣い、右岸と左岸の出来事としてスケッチは示される。右岸にいるのは、井上という会社員の男性だ。仕事で来た町からウイルスのために帰れなくなり、一人で暮らしている。幼稚園の年長組になった娘の聡美とも、オンライン会議システムを使って話すことしかできない。左岸にはその聡美と母親。パパのいない家で、二人は七夕の飾りつけをしている。両者の間にあるのは天の川のように遠い距離だ。
距離を描いた短篇集ということもできるだろう。井上と家族の間に広がるのは物理的に遠いというだけではなく、心理的な距離でもある。「送り火のあとで」はお盆の物語だ。〈ぼく〉と姉の弘子のきょうだいの家に、おばあちゃんがやってくる。三年前に亡くなった二人の母親、おばあちゃんの娘がお盆に帰るのを、一緒にお迎えするためだ。しかし、家には新しい〈ママ〉の真由美さんがいる。お父さんが春に再婚したからである。
十万億土という遠いあの世とこの世。そして母の死という決して元に戻せない事実との時間的な距離が「送り火のあとで」の主題になっている。同じく母とこどもの関係の物語である「コスモス」の主人公リナは、日系ブラジル人三世の母と日本人の父の間に生まれたこどもだ。出自について級友が口にする言葉の一つひとつがリナを傷つける。本人は善意のつもりでも、彼女には哀しい心の傷ができる。そんな言葉をぶつけられるたびに、リナは石を拾って池に放り投げるのだ。これは文化の違いが産んだ、心と心の埋められない距離。人の本当の気持ちを知ることは難しいということを描いた短篇がもう一つ、「花一輪」である。昔話の「桃太郎」も、この作者にかかると心を掘り下げる物語に変わる。
童話的な題材を扱った話が多いのも本作の特徴である。「原っぱに汽車が停まる夜」で意識されているのは、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の登場人物、カムパネルラだろう。こどもたちが直面せざるをえない現実の辛さを描いてきた重松らしい一篇で、過去を振り返るときに必ず残ってしまう悔いの跡をなぞるように、銀河鉄道が空を往く。物語の背景には意識的に新型コロナウイルス蔓延の現在が描き込まれている。誰もが挫けそうになっている。でも未来を信じてもう少しだけ生きてみようよ。そんな応援の物語として、ぜひ大事な人と一緒に読んでもらいたい一冊だ。
どの短篇を読んでも味わい深いものが残る。どこから読んでもいいのだが、巻末の表題作だけはできれば最後に。これは重松版『星の王子さま』だ。どこに行ってもちょっとだけさみしくて泣いてしまう大人のために書かれた物語である。埋められない距離の開き、取り戻せない過去を現実として抱えながら誰もが生きるしかない。だから少し泣いてもいいんだよ。泣くのはぜんぜん恥ずかしいことじゃないんだ。小説が語りかけてくる。