「母の死」を日中の詩人が語る。日本と中国で異なる家族の概念(前編)

対談・鼎談

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詩人と母

『詩人と母』

著者
松崎義行 [著]/田原 [著]
出版社
みらいパブリッシング
ジャンル
文学/日本文学詩歌
ISBN
9784434292132
発売日
2021/07/21
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

母の死は、だれにでも訪れる。最愛の人への想いを胸に、国境を越えて繋がりあう2人の詩人(前編)

[文] みらいパブリッシング

小説家のカワカミ・ヨウコさんが、『詩人と母』を刊行した詩人の松崎義行さんと田原(ティエン・ユアン)さんと対話しました。

母を亡くした2人の詩人。共通の体験から、日本と中国の「家族の概念」の違いが浮き彫りになっていきます。

そこにカワカミさんが切り込む、世界でたった1度きりのスペシャル対談です。


左から詩人の松崎義行さん、田原さん、小説家のカワカミ・ヨウコさん

みらいパブリッシングから刊行の『詩人と母』。

これは日中の国境を越えて友情を育んできた2人の詩人、松崎義行さんと田原(ティエン・ユアン)さんが、それぞれの母への追悼の思いを綴った競作の詩集です。

2人のお母さまは今年の1月に、ともに83歳で他界されました。

同じ時期に母を失った悲しみを国際電話で伝えあううちに、一緒に詩集を作ろうという話になったといいます。

互いに悲しみと喪失感を乗り越えて、前向きに生きていくためには詩の力が必要だった。

詩人として、そしてひとりの息子として、最愛の母を失うということはどういうことなのか? 

母の死は誰にでも訪れるもの。

母がまだ健在である人も、旅立たれてしまった人も、広く共感する言葉にあふれた詩集です。

今回、私、カワカミ・ヨウコは座談会に参加させて頂きました。

河南省生まれで、天安門事件の後に留学で来日されて以来、長く日本にいらっしゃる田原さんは、幼少期から地平線を眺めて育ったといいます。

松崎義行さんは中国に留学されていたこともあります。

そのようなおふたりと、小説家である私の3人が、それぞれの視点から母の死について語りあいました。

中国と日本という文化的背景の違いも浮かび上がり、ダイナミックな展開へと発展しました。

表現者として、最愛の人との「別れ」とどう向き合ったのか?

カワカミ:
はじめまして。詩集『詩人と母』を読ませて頂きました。

この詩集は中国人と日本人の2人の詩人が、お母さまの死をきっかけにそれぞれの人生の原風景を探す旅なのだという印象を受けました。それは文字通り、旅に出るという意味ではなくて、過去の記憶を辿りながら心の旅をするものです。

さっそくお伺いしますが、おふたりはどのような気持ちでこの詩をお書きになったのですか? インスピレーションのままにお書きになったのか、それとも、ご自身を癒すためにお書きになったのでしょうか?

田原(ティエン・ユアン):
私の場合は、悲しみと喪失感に駆り立てられて書いたのだと思います。

この詩を書こうと思ったもうひとつの理由としては、私は(コロナ禍のせいで)故郷に帰れなかったことです。中国では親の最期を看取らず、葬儀にも出ないことは、とても親不孝なことなのです。母の葬式に参列できなかった代わりに、詩を書こうと思った。そういう気持ちもあります。


谷川俊太郎、金子みすず、太宰治の作品の中国語翻訳でも知られる、詩人の田原さん

松崎:
僕はやはり癒しで書いた部分はあるなと思います。書くことで自分が救われると言いますか、心の整理がつくと言いますか、悲しみに飲み込まれそうな感情に立ち向かうためと言いますか、そういう意味合いは強いと思います。

田原さんと違って、僕はこの詩集のなかの作品のほとんどを母の闘病中に書いたのです。


詩人・作詞家の松崎義行さん。中国への留学経験もあり、中国語も少し話せます

母は延命措置をやらないでくれと言っていましたが、彼女の痛みや苦しみを消してあげたいと思う気持ちがありました。コロナ禍で面会ができない状況もありました。いくつか病院を変わり、転院して最後の病院でやっと会えるようになった頃には、食べ物も飲み物も口にできない状態になっていました。

僕のなかで、母はなぜ生きているのか、答えを見いだせない状態になっていました。母は苦しいだけなのではないか? 通常に生きている境地から離れてしまった母を苦しみから解放してあげたいから、いっそのこと早く天に召されてほしいと願う自分がいました。同時に、母を早く死なせてやりたいと思う自分は、とても不道徳なのではないかと自分を責めてもいました。

そのような心境を綴った詩は、やはり自分を癒すために書いたとも言えるわけです。そうなると、ここで新しい問題が僕の前に立ち塞がってくるわけです。

いち表現者として、自分を癒すために書いたものを、はたして他人に見せていいものか? そんな葛藤の中でこの詩集を作りました。

日本と中国は、家族の概念が違う。

カワカミ:
苦しんでいるお母さまを楽にしてあげたい。松崎さんのその想いは、作品を読んでいて胸にぐっと迫るものがありました。

母の死というテーマは、私にとっても身近なものです。私の母も病気です。なのでおふたりは、私がやがて迎えるだろう母との「別れ」という体験を一足先にしてくれて、それを克明に綴ってくれた。おかげで私も心の準備ができたような気がしています。

まるで覚悟しておけと言われているような気がして、一篇、一篇を食い入るように読ませて頂きました。


小説家 カワカミ・ヨウコさんは学生時代をアメリカで過ごし、911を現地で経験しました

ところで、田原さんはコロナ禍で帰国できなかったので、お母さまの最期に立ち会うことができませんでしたね。松崎さんのような介護や、死の瞬間までを看取るといった経験はされてないですね。そんな田原さんから見て、松崎さんの詩はどのようにお感じになりますか?

田原(ティエン・ユアン):
母の死という同じテーマでありながら、松崎さんと私は出発点が違うように思います。

私の母は入院して亡くなるまで2カ月しかなかった。その間ほぼ毎日テレビ電話をしていましたし、なんでも話せてよく笑ったし、頭もしっかりしていたので、まさか亡くなるなんて思ってもいませんでした。ショックでした。

コロナ禍で帰国できなかったことは大きいです。松崎さんはお母さまの様子を見ていて辛いとおっしゃるけれど、最期を迎えるまでの日々はお母さまに毎日のように会えていたわけでしょう? 私は母の手を握ってあげることも叶わなかった。とても悔しいです。

それから、松崎さんの詩を読んで、同じ人間だけど文化の差異があるなと感じました。

中国人の感覚では、親がどんなに苦しんでいるように見えても、たとえ100歳になっていても、早く亡くなってほしいとか、そんなふうには思わないんです。儒教的にありえない感覚です。日本の文化にも儒教的なところはあるにはありますが、今の日本はだいぶ違う。

また、親孝行の文化も違うと思いました。日本は子供が成長するにつれて、親とは精神的に離れていく。心の距離が開いていく。中国人は、大人になってもずっと親子は親子。距離感はない。まあ、あと20年くらい経てば経済の発展に伴って、中国人も今の日本人と同じような感覚になるかもしれないですが。

カワカミ:
私も田原さんの詩を読んでいて、文化の違いをとても感じましたね。

たとえば詩集のなかの「母の葬儀」という一篇では、(母は)赤い服と黒い靴をつけて棺に入る。銅鑼や太鼓が叩かれ、チャルメラが吹かれ、白い喪服を着た人々が泣き、庭の外で爆竹が鳴らされている。小麦粉の粥を柄杓で土にかける、といった描写があり、日本のお葬式の様子とはずいぶん違うなと驚かされました。

それから、家族の概念も日本とは違うのかなと思いました。「拡張家族」とでも呼ぶべきでしょうか、田原さんの周りには「お母さまのような」存在の方々がたくさんいらっしゃる。

作品に登場するタイ出身のおばさんや、おじいさまや、おばあさま。タイ出身のおばさんなんて、日本人の感覚からすれば、ただのご近所さんです。けれど田原さんは血がつながっていない彼女を母のように慕い、タイに里帰りするための旅費をおばさんに渡そうとされた。

そんな「拡張家族」の文化のなかでは、悲しみの数も多いのかなと想像しました。母の死に直面したとき、松崎さんにとってお母さまはただひとりですが、田原さんにとっては「お母さまのような」存在が多いぶんだけ、悲しみの数も多いのかなと。

田原(ティエン・ユアン):
それは言えますね。私は小学校6年生までおばあちゃんの部屋で寝ていました。父は30代まで大学教授をしていましたが、台湾に親戚がいるという理由で*下放(かほう)させられ、農民になった。昔はそういう時代だったのです。当時の母はとても苦労して、朝早くに畑に出て、夜帰ってきたら疲れてすぐに寝てしまう。なので幼いころは母との接点が少なかった。母の輪郭がはっきり見えるようになったのは、大学生になってからです。

(*下放…文化大革命の頃の中華人民共和国において、毛沢東の指導によって行われた政策。都市部の知識人や青年を地方の農村に送り、農業を通じて思想改造をしながら共産主義国家建設に協力させることを目的とした)

ご近所に住んでいたタイ出身のおばさんには、同情する気持ちも強かったです。おばさんは旦那さんから日常的に暴力を振るわれていて、その様子があまりにも残酷で、だけど子供だった私は助けることができなかった。タイの故郷に里帰りできずに亡くなってしまったおばさんのことは、今でも心残りです。彼女を主人公に小説を一篇書きたいと思っています。

後編に続く)

プロフィール

松崎義行(詩人)

1964年吉祥寺生まれ。15歳の時に第一詩集「童女M-16の詩」でデビュー。ラジオ、雑誌で詩の編者を担当。著書『バスに乗ったら遠まわり』『10秒の詩-心の傷を治す本』『幸せは搾取されない』他。谷川俊太郎氏の紹介で翻訳者としての田原氏と出会い、出版PRの中国ツアーなどにも同行、親交を深めている。 

田原 ティエン・ユアン(詩人・翻訳家)

1965年、中国河南省生まれ。91年来日留学。2003年『谷川俊太郎論』で文学博士号取得。城西国際大学で教鞭を執っている。翻訳書に中国語版『谷川俊太郎詩歌総集』ほか、『金子みすず全集』、『人間失格』、『松尾芭蕉俳句選』などがある。日本語詩集『石の記憶』(第60回H氏賞)『夢の蛇』などがある。 

カワカミ・ヨウコ(小説家)

1975年川崎市生まれ。東京女子大学、ニューヨーク州立大学、サンフランシスコ州立大学でジェンダー学を学ぶ。修士号。911をアメリカで経験する。様々な人種や国籍や宗派や民族の人々とアメリカで過ごした経験から、それを基に小説を書きたいと思うようになる。コロナ禍が始まった2020年5月、近未来小説『おもてなし2051』をみらいパブリッシングより刊行。『おもてなし2051』は、多種多様な「人種のるつぼ」になった30年後のニッポンを描いた物語。未来の東京と福島を舞台にしている。ディストピアではなく、希望ある未来を描くことに力を注ぎながら、現在は2冊目の小説を執筆中。Twitter / Instagram

取材・文:カワカミ・ヨウコ

みらいパブリッシング
2021年9月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

みらいパブリッシング

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