「母の死」を日中の詩人が語る。日本と中国で異なる家族の概念(後編)

対談・鼎談

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詩人と母

『詩人と母』

著者
田, 原, 1965-マツザキ, ヨシユキ, 1964-
出版社
星雲社 (発売)
ISBN
9784434292132
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

母の死は、だれにでも訪れる。最愛の人への想いを胸に、国境を越えて繋がりあう2人の詩人(後編)

[文] みらいパブリッシング

小説家のカワカミ・ヨウコさんが、『詩人と母』を刊行した詩人の松崎義行さんと田原(ティエン・ユアン)さんと対話しました。

母の死を詩に記録するのは、どのような行為なのか。コロナは死生観を変えたのか…。

世界唯一のスペシャル対談、後編をお届けします。

前編はこちら


左から詩人の松崎義行さん、田原さん、小説家のカワカミ・ヨウコさん

拡張家族的な中国のコミュニティと日本。死を前にして、「心の分断」とどう向き合うべきか?

松崎:
僕が田原さんの詩から感じるのは、田原さんのお母さまへの思いには「分断」がない、ということです。

子供の頃も、留学で日本に来て家族と離れて暮らすようになってからも、そして亡くなった今でさえも、お母さまとずっと繋がっている。世界のどこにいようとも、田原さんは「拡張家族」という中国の広いコミュニティとしっかり結びついているように感じるのです。

だから僕から見て、田原さんのお母さまの死は幸せな物語のように映るのです。大きな広いコミュニティの歴史の流れのなかにあって、ひとつの不幸ではあるけれど、でもそれは幸せに包まれている。お母さまもたぶん「自己拡張」と言いますか、コミュニティと一体化するように包まれている。田原さんも日本にいながら、中国のコミュニティとうまく繋がっているというか、共鳴しているように思いましたね。だから田原さんは孤独ではない。


詩人・作詞家の松崎義行さん。みらいパブリッシングの代表取締役でもあります

それに比べて、僕は「気持ちの分断」の連続でした。

母が入退院を繰り返して亡くなるまでの間、容態が悪化していくのを目の当たりにしながら、そのつど自分の気持ちを切り替えて、僕に何かできることはないかと、常に役割を考えてきたのです。僕の心のなかに母を呼び込んで、「私は今、何を望んでいるのだろう?」と僕が母の代理になって考えていたのです。ベッドの上の彼女自身ではなく、僕のなかに入っている母が、そのつど物事を判断しているような感覚でした。

亡くなった後、母は僕の中からいなくなった。そこで僕に訪れた感覚は、これからは自分だけで物事を決めて考えられるのだ、というものでした。それは僕にとって大きな驚きでした。大きな変化でした。母への感情がいったん断ち切られた思いがしました。

ひとりぼっちになったような、自分の人生が変わってしまったような寂しい気持ちです。

カワカミ:
松崎さんのその感覚、分かるような気がします。

先ほども話したように、私の母も病気で、半年ほど前に救急車に乗りました。高熱で一時的に意識障害が出て運ばれたのですが、救急車の中で、とても自分の母とは思えない「別人」が現れてしまったのです。救急隊員に対して乱暴な発言をしたり、ありえないような行動を取ったりと、自分の親だと思っていた人が、まったく違う人間になってしまったんですね。

松崎さんのおっしゃる「気持ちが分断」されるという感覚は、これだなと思います。母が突然、別人になってしまった光景を目の当たりにしたときに、気持ちの整理をつけるのは母本人ではなく、私の方なのだなと思いました。最も身近な人が変わってしまったとき、その現実とどう向き合っていけばよいのか? それはとうてい受け入れられるものではないですし、気持ちの整理をつけるのはとても難しいことなのです。

母との向き合い方に関連して、松崎さんの詩のなかで共感した一篇があります。「漉し器」という作品です。

 ***

その漉(こ)し器で漉すと

取り出したいものが残る

(途中省略)

母からもらった大事な

十色のビー玉の入った四角い金色の醤油缶を空っぽにした時のように

宝物を平気で投げ出してしまうのだ

 ***

私はこの作品のなかには、受け入れがたい状態で大切な人の変化に直面してしまった感覚が、よく現れていると思いました。

漉し器というものは、ふつう、捨てたいものを漉すものなんですよ。料理に混ぜたくないものを漉し器で取り除く、とかですね。でもこの作品では、漉し器の上に残ったものは、大切な宝物だと言っている。逆転の発想なんですよ。そこに尋常ではない心理が現れている。

思ってもみなかった受け入れがたい現実に直面した心境をこの一節がよく表しているように思いました。現実があまりにもショッキングであるがゆえに、自分の内面に入っていく感覚がリアルなのです。

しかも自分は何も悪いことをしていないのに、なぜか罪悪感まで抱いてしまう。そんな心境もこの詩に描かれているように感じました。

私の心の中にも、救急車に乗せられた時の母のことを、忘れたいと思っている自分がいます。この詩を読むと、様々な感情が湧きあがってきて、それに逃げないで向き合えと言われている気がします。

母の死を記録して刻み込む。詩の言葉で母の存在を「還元」させる。

松崎:
谷川俊太郎さんが消失点を見つめている、みたいな言い方をされるように、詩人の粋な生き方は、自己否定だとか常識的なことをやらないことなどと、よく言われるじゃないですか。でも僕は、この世から去っていく人をちゃんと記録して刻み込むというのも、大切なことだと思っています。だから弔いを詩を使ってやられた田原さんのことも尊敬しています。

僕たちは死という重い球をぶつけられた。母の死を前に表現者でいられるか? ただの個になってしまうのではないか。葛藤はありました。

田原さんの詩のなかで僕が共感したのは、まるでライブ中継のようにお母さまの葬儀の流れを時系列で追っている作品です。お母さまの死を美しく定着させようという意図を感じてしまう読者もいるかもしれないけれど、あるいは、詩として洗練されていないと言われるかもしれないけれど、人間として書かざるを得ないという心境はある。田原さんは根っからの詩人だなと思いました。

田原(ティエン・ユアン):
詩の方法論のことですね。たしかにリアリズムで書きました。なぜリアリズムにしたかというと、詩の言葉を通して母という存在を「還元」させたかったからです。

この世にはもういなくなった母は、私の詩のなかに生きている。一家で下放させられて農民になり、苦労の多い、平凡な人生を送った母ですが、私のなかに彼女の人生を書き留めたいといった、漠然とした使命感がありました。


詩人・翻訳家の田原さん。中国河南省出身で、毛沢東政権下の農村で育ちました

コロナは私たちを死から自由にしてくれなかった。

カワカミ:
リアリズムの手法を取ったとおっしゃいますが、同時に、田原さんの詩にはまるで神話を思わせるような多くの神秘性も含まれていますよね? 

たとえば「神の木」という詩のなかでは、大きな木を切り倒したことで、その付近で原因不明の死や不慮の事故が立て続けに起きたといったエピソードや、「お婆さんのこと」では、夫や自分の死期を的確に予測できる女性が登場します。

私はこれらの詩をどこか懐かしい気持ちで読ませて頂きました。なぜなら記憶を辿ってみると、私の祖父母の頃の日本にも似たような出来事はあったなと思い出すからです。

自分や家族の死期を予知できる不思議な人がいたり、樹齢の長い大木を切り倒したら、まるで祟りのような不幸が続いたりしたといった話は、私も子供の頃に、祖父母から聞かされました。

そう考えると、神話などではなくて、ほんの少し前までの社会では、そのようなことはたまにあったのかもしれません。

田原さんの詩は、文化大革命やアヘン戦争、日中戦争が背景にあったり、纏足の女性が登場したりと、まるで壮大な歴史ドラマを見ているようにも感じるのですが、考えてみればこれらも、さほど昔のことではないのかもしれないなと思うのです。

私は天安門事件のニュース映像を中学2年生の時に見てショックを受けましたが、考えればあれからまだ30年しか経っていません。今はテクノロジーが発展してあまりにも時代が早く変化しているから、まるで大昔のことのように思うけれど、じつはそんなに古い話ではないのかもしれません。


カワカミ・ヨウコさん。東京と福島の未来を描く小説『おもてなし2051』を刊行

田原(ティエン・ユアン):
テクノロジーの発達で私たちの時代はどんどん進化していきます。中国も伝統的な習慣が薄れていき、グローバル化で文明の統一化が今後もますます早いペースで進むと思います。

それでも人間の本質にさほど変化はないと思う。素直な心をどうやって表現したらいいか、僕は常にそれを考えていますね。

やはりコロナの影響が私たちの心に与えた影響は大きいと思います。これまで僕たちが培ってきたものをコロナは壊していった。コロナは私たちを死から自由にしてくれなかった。病院の面会が禁止されて最期を看取れなかったり、国境が閉ざされて葬儀に行くことも許されなかったりといった状況が、世界中で起きた。コロナ禍が終わっても、私たちは心理的な意味でも前の生活に戻ることはできないように思います。

コロナは、人類史上、何百年に1回あるかないかの大きな災難です。私たちの生きている間に、このような世界的規模の災難に直面して、私はむしろ幸いだったと思っています。コロナ蔓延がなかったら、人間はこんなに真剣に考えなかったかもしれない。これまで人間は地球に対して、資源の使い方や開発など、貪欲で傲慢だったからです。

私は、コロナはもしかしたら、大自然からの反撃かもしれないと思っています。天罰ではなく、地球からの反撃です。

カワカミ:
そうですね。私は環境問題には疎かったのですが、これからは真剣に考えようと思いました。イタリアの森のオリーヴの木が不可解な伝染病に感染していることが発覚したと思ったら、その数年後に全世界でコロナが始まった。広い世界のスケールがぐっと縮まり、身近な問題として自分たちに回ってきた。

本日は、身近な母の死というテーマから地球のことまで、じっくりおふたりとお話しできて、とても嬉しかったです。辛くても前向きに生きていこうと励まされました。ありがとうございました。

あとがき

座談会の最後は、やはりコロナの話題になりました。医療も追いつかず、未知のウイルスに人間が翻弄されるような時代がはじまった今、詩という文学にできることは何なのだろうか? 答えは簡単には出せないけれど、ただ、今回の座談会でひとつだけ確信したことがあります。それは文学の力は、人と人を繋ぐことができるということ。生まれ育った文化的背景も、それぞれの母の人生も、性別も年齢も違う3人が、真剣に心を通わせながら語りあうことができたのは、詩という文学が私たちを結びつけたからに違いありません。もちろん、母というテーマは普遍的なものではあるけれど、喪失感や罪悪感、あるいは怖れを表現する言葉をくれるのは、やはり詩でした。これからも文学を大切にしていきたいです。

プロフィール

松崎義行(詩人)

1964年吉祥寺生まれ。15歳の時に第一詩集「童女M-16の詩」でデビュー。ラジオ、雑誌で詩の編者を担当。著書『バスに乗ったら遠まわり』『10秒の詩-心の傷を治す本』『幸せは搾取されない』他。谷川俊太郎氏の紹介で翻訳者としての田原氏と出会い、出版PRの中国ツアーなどにも同行、親交を深めている。 

田原 ティエン・ユアン(詩人・翻訳家)

1965年、中国河南省生まれ。91年来日留学。2003年『谷川俊太郎論』で文学博士号取得。城西国際大学で教鞭を執っている。翻訳書に中国語版『谷川俊太郎詩歌総集』ほか、『金子みすず全集』、『人間失格』、『松尾芭蕉俳句選』などがある。日本語詩集『石の記憶』(第60回H氏賞)『夢の蛇』などがある。 

カワカミ・ヨウコ(小説家)

1975年川崎市生まれ。東京女子大学、ニューヨーク州立大学、サンフランシスコ州立大学でジェンダー学を学ぶ。修士号。911をアメリカで経験する。様々な人種や国籍や宗派や民族の人々とアメリカで過ごした経験から、それを基に小説を書きたいと思うようになる。コロナ禍が始まった2020年5月、近未来小説『おもてなし2051』をみらいパブリッシングより刊行。『おもてなし2051』は、多種多様な「人種のるつぼ」になった30年後のニッポンを描いた物語。未来の東京と福島を舞台にしている。ディストピアではなく、希望ある未来を描くことに力を注ぎながら、現在は2冊目の小説を執筆中。Twitter / Instagram

取材・文:カワカミ・ヨウコ

みらいパブリッシング
2021年9月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

みらいパブリッシング

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