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テロリズムの時代暗殺者にとって「天誅!」は魔法の言葉
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
司馬遼太郎の短篇集『幕末』(文春文庫)は、清河八郎暗殺を扱った「奇妙なり八郎」など、秀作揃いの一巻として知られている。
ただ、この作品の「オール讀物」での連載の題名は、『幕末暗殺史』だった。つまりは“暗殺”の二文字が、それだけ、幕末を象徴していた、ということなのだろう。
今回、書下ろし刊行された八木荘司『天誅の剣』も、幕末から明治期を舞台としながら、“天誅”=暗殺に特化した異色の力作となっている。
全篇の主人公は、伊藤俊輔、博文である。物語は、伊藤が長州藩士・山尾庸三と行った九段坂の暗殺から、伊藤がハルビン駅頭にて、安重根の凶弾に斃れるまでが描かれている。
これまで、この物語の起点と終点は、同じ人間が行った、もしくは同じ人間に降りかかったものでありながら、別個にとらえられてきたような節がある。
しかしながら作者は、これを“天誅”の宿命、もしくは歴史の“業”として一つの線で結んでいるところが最も特筆すべき点といえるのではあるまいか。
暗殺者にとって“天誅”の二文字は、自らの血ぬられた行為を“義挙”とする魔法のことばであったに違いない。
ここで私が思い起こさずにはいられないのは、やはり司馬遼太郎の『人斬り以蔵』(新潮文庫)を参考にして五社英雄が監督した映画「人斬り」である。
この作品で以蔵に扮するのは勝新太郎。志士たちが暗殺を行うとき「天誅!」と叫ぶのを聞いた以蔵は、「ひ、ひとを斬るときはて、天誅といえばいいんだな」といいながら暗殺剣をふるうことになる。
八木作品は、テロリズムの潮流が時代の暗部をかたちづくっていた頃を、奥行きを感じさせる筆致で描き、秀逸である。
そして、本文にも増して面白いのが、巻末三ページにわたる作者の“あとがき”である。
ここに記されている、偶然、洞察、発見は、本文を味到し終えた後でも、再びこの作品に対する思いを新たにさせる魅力をもって迫ってくるのだ。