【GoTo書店!!わたしの一冊】陸軍将校の教育社会史(上・下) 広田 照幸 著

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陸軍将校の教育社会史(上)

『陸軍将校の教育社会史(上)』

著者
広田 照幸 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784480510532
発売日
2021/07/12
価格
1,320円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【GoTo書店!!わたしの一冊】陸軍将校の教育社会史(上・下) 広田 照幸 著

[レビュアー] 濱口桂一郎(JIL-PT労働政策研究所長)

 著者の広田照幸は教育社会学者で、その関心は軍人さんの「滅私奉公」イデオロギーは本気だったのか? を確認することにある。とはいえ、いやいや本音は「立身出世」主義だったんだよという結論を導き出すために次々に繰り出される、様ざまな歴史資料のディテールのあれこれがたまらなく面白いのだ。それは、著者の問題関心からは少しずれるかも知れないが、いわば「陸軍将校のキャリアデザイン史」としての面白さである。

 将校の地位が約束された陸軍士官学校、幼年学校は、いうまでもなく戦前期日本のエリートコースの一つだった。しかし、旧制高校→帝国大学というエリートコースと比べると、少し違いがあった。それは「大学を出るには少なくとも一万円は用意しなければなるまい。専門学校でも三千や五千の金はかゝる筈である。(中略)現在家貧にして身を立てる方面と言へば軍部方面、商船方面、教育界以外にはない。陸海軍ならば、いかに貧しくても家系が正しくて人間が良ければ思ふまゝに活躍できる」と当時の受験案内書にあるように、より低い社会階層の若者の上昇ルートであったという点だ。貴族や富豪が軍人になった欧州諸国と違うところである。

 将校という組織幹部の調達方式として、明治初期には下士官から将校への昇進という道があった。彼ら下士官上がりの将校は、尉官で終わっても嬉しいだけで文句はない。

 ところが1880年代以降はその道はほぼ閉ざされ、士官学校卒業生が初めから将校になるのが当たり前のコースになる。彼らにとって出世できずに尉官で終わるというのは面白くない。しかも軍人はかなり早期退職で、予備役になると元々資産がないものだから恩給だけでは生活が苦しくなる。ヨーロッパ各国の軍隊の将校は貴族や富豪が多いので、尉官で辞めても資産があるし、議員や重役になれるが、学力試験のみで選抜してきた資産なき日本の将校は辞めたら惨めなのだ。

 近代化の先生のはずのヨーロッパよりももっと近代的な人材選抜方式を採用したことが、彼らに現役としての地位にしがみつくことを強制する。これこそ軍国主義イデオロギーの形而下的実体である。広田は「これまで封建的後進性と批判されてきた軍隊組織の諸問題は、実は経済的基盤を欠いた将校の保身という観点から理解されるべき」と喝破する。

 そうした彼らが、軍縮と称して軍人のクビを切りたがる文官・文民エリートに敵意を持つのは当然だろう。そして彼らにとっての干天の慈雨が満州事変であったのもよく理解できる。

 昇進が停滞し、俸給水準が相対的に低下し、早期退職を迫られたら生活難に直面していた軍人たちは、満州事変から日中戦争、大東亜戦争と戦線が拡大するなかで、「天皇への献身」「聖戦」の名の下で野心を実現する機会を与えられたのだ。評者は本書を読んで、「日本版メリトクラシー(実力主義・能力主義)の興亡」と名付けたい衝動に駆られる。

選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎

労働新聞
令和3年10月4日第3323号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

労働新聞社

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