林達夫 編集の精神 落合勝人著 岩波書店

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3
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林達夫 編集の精神

『林達夫 編集の精神』

著者
落合 勝人 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
総記/総記
ISBN
9784000614825
発売日
2021/08/06
価格
3,960円(税込)

書籍情報:openBD

林達夫 編集の精神 落合勝人著 岩波書店

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

「聖」求め 精神史探究

 西洋の「精神史」に関する厖大(ぼうだい)な知識を用い、専門分野の壁を飛びこえる知性の持ち主。昭和の知識人、林達夫が一九八四年に逝去したころ流布していたイメージは、そんなものだった。

 だが、『世界は舞台』とか『思想のドラマトゥルギー』とかいった、当時に出た関連書の題名がまとう軽やかな印象とは異なる何かが、その文章の底に沈んでいる。また、評論集『共産主義的人間』に見える、戦後の左翼・進歩派勢力に対する痛烈な批判は、いったいどこから来たのか。林の著作を読んでいると疑問がわいてきて、歯切れの悪い読後感が残ったままだった。

 この本は、そうした謎を明快に解き明かす評伝である。一九二〇年代には、アカデミズムに職を得ずに活動する、一群の「知識人/編集者」が登場した。林もその一人であるが、戦中期までは岩波書店、戦後には中央公論社や平凡社に深く関わり、長い期間にわたって本や雑誌を「作る人」であり続けた点できわだっている。

 関東大震災による生活世界の「崩壊」を経験した林は、秩序の再建にあたり「言葉」が果たす機能の重要性とその危険性の両面を、深く見すえるようになった。そして大学で学んだ師である波多野精一の宗教哲学に立ち戻り、「聖なるもの」への一貫した希求を、「精神史」の探究の底に潜めていったのである。

 林が住んだ藤沢市鵠沼における知的サロンの変遷や、「聖者」と秘(ひそ)かに位置づけていたマルクス主義経済学者、野呂栄太郎の重要性など、昭和思想史をめぐる新発見も多い本である。他面で「崩壊」「破片の蒐集(しゅうしゅう)家」といった言葉を強調しているのは、同世代の哲学者、ヴァルター・ベンヤミンを想起させるが、その名前は本文に現れず、注に一回登場するにすぎない。「知識人/編集者」として、過去の無名の「聖者」たちの言葉の断片を集め、後世へと伝える。おそらくは、そうした林のスタイルを深く引き継ごうとする、著者の信念の表われなのだろう。

読売新聞
2021年9月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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