アメリカ人作家が描く、陽気な幽霊だらけの東京滞在記の魅力

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幽霊の街に滞在していたら

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)


バリー・ユアグローさん(C)Anya-von-Bremzen

大森望・評「幽霊の街に滞在していたら」

アメリカの作家・バリー・ユアグローによる長編小説『東京ゴースト・シティ』が刊行。本作の読みどころを、書評家の大森望さんが語る。

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 東京オリンピック期間中、たまに早朝のチバテレでBBCワールドニュースが映ると、五輪特派員がレポートするトーキョーの街がどことなく奇妙に見える。もともと海外メディアを通して見る日本は“不思議の国”っぽく見えがちだから、“コロナ禍の五輪”という非日常の自乗みたいな状況を考えれば、奇妙に映ったのも当然かもしれない。

 たいていの日本人より遥かに日本文化と日本映画に詳しいアメリカの作家バリー・ユアグローが爆笑旅行記っぽくディープに描く(そして柴田元幸の達意の訳文を通して読む)東京も、BBCワールドニュースの東京と同じく、日本の読者にとって、どこか不思議さをたたえている。ただし、この小説では、その不思議さが解消されるどころか、どんどん加速し暴走してゆく。なにしろそこには、『東京ゴースト・シティ』のタイトルどおり、古今東西のさまざまな幽霊が(まだ生きている人間の“若い頃の幽霊”まで含めて)多数出没するのだ。植木等、太宰治、ヴェルナー・ヘルツォーク、永井荷風、宍戸錠、福澤諭吉、フランク・ロイド・ライト、鈴木清順、松尾芭蕉、イアン・フレミング、リヒャルト・ゾルゲ、菅原文太、三島由紀夫、(現役時代の)東洋の魔女、一休宗純……。

 本書の「序」によれば、著者はガールフレンドのコジマ(ロシア出身のフードライター)とともに、二〇一九年の春、桜が満開の東京にやってきて、東京タワーのすぐ近くにアパートメントを借りる。

 翌日、〈ウインドウに桜の花が手描きしてある床屋〉で髪を切ってもらった“私”は、店主からメモを渡される。いわく、自分はあなたのファンだ。ついては理髪店組合が刊行する文芸的雑誌『オヤジギャグの華』にぜひ東京滞在記を書いてほしい……。

 しかし、くわしい話を聞くため再訪しようとすると、その床屋は存在しない。いったいどういうことなのか? 小説はその後、この“謎の床屋”と謎の雑誌『オヤジギャグの華』でマクガフィンのように使われて、物語をミステリー的に牽引する(さらにはあっと驚くどんでん返しもある)のだが、それはまたべつの話。この一件を“私”から聞いた新潮社の担当編集者が、だったらその滞在記をわが社の『文芸的雑誌』に連載してくださいと提案し、かくて新潮社のPR誌〈波〉に『オヤジギャグの華』と題するユアグローの連載がスタートする(二〇一九年五月号~二〇二一年一月号)。それがこのたび『東京ゴースト・シティ』と改題のうえ、めでたく単行本化された――という(絶妙の割合で虚構が混じった)“事実”が作中にとりこまれ、それぞれ十ページ前後の章を二十二個連ねた東京滞在記スタイルのおそろしく風変わりな小説が誕生した。

 訪れる場所は、有楽町ガード下、築地市場と豊洲市場、護国寺のラーメン屋、渋谷円山町のラブホテル街、新宿ゴールデン街、表参道……。JR原宿駅の駅舎が取り壊されることにこんなに憤る小説は、日本人作家もたぶんまだ書いていないだろう。街歩き小説、食べ歩き小説の面白さも見逃せないが、話はどんどんエスカレート。北野武(本物)と幽霊ラフカディオ・ハーンが入り乱れてサブマシンガンで銃撃戦を演じるに至っては、茫然とするしかない。

 ラーメンにハマれば、〈コンビニとはインスタントラーメンとカップ麺から成るアリババの洞窟だ!〉と喝破して、六本木のコンビニのイートインで〈ミシュランの星付きラーメン店プロデュースのスペシャルブランド〉カップ麺をすすり、安藤百福の幽霊に案内されて幽霊向けコンビニ〈スプーク・スポット〉のパイロット店に赴けば、地下にゴルフ練習場があり、葛飾北斎が壁に富士山の絵を描きはじめるという具合。

 おもちゃ箱をひっくり返したような状況が一変するのは、一カ月少々の予定だった東京滞在がいつのまにか一年を超えてしまった小説の後半。「その13 魔法にかけられて」は、“私”が(生身の人間は)誰もいない上野公園に衝撃を受ける場面で始まる。マスクとソーシャルディスタンシングとステイホームの春。幽霊だらけのゴースト・シティから、通りに人影のないゴースト・シティへ。大笑いしながら読んでいた読者の肝がすうっと冷えていく。

 現実の東京に非現実的な光景が訪れるのと歩調を合わせて、“私”の現実も揺らぎはじめる。いったい何が本物なのか? その現実崩壊感覚は、コロナ禍の東京五輪をテレビで見つづけた日本人の(というか僕自身の)感覚とそのまま重なる。ユアグローの描く幻想の東京こそ、リアルな東京を忠実に写しているという逆転。けだし、東京は幽霊の街だったのである。

新潮社 波
2021年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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