小泉今日子と西加奈子が語る 現代社会の問題に声を上げ、発信し続ける理由

対談・鼎談

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夜が明ける

『夜が明ける』

著者
西 加奈子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103070436
発売日
2021/10/20
価格
2,035円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

小泉今日子と西加奈子が語る 現代社会の問題に声を上げ、発信し続ける理由

[文] 新潮社

自分を取り戻す


小泉今日子さん

小泉 西さんはカナダにお引っ越しをされて一年半くらいなんですよね。カナダは日本と比べて官僚やリーダーが若くて女性も多いイメージがあります。日本では権力がある一定の層に握られていて、権力層にいるおじいちゃんたちが誰も辞めないから、新陳代謝が起こらないんですよね。そちらの生活や環境が執筆に影響することもありますか?

西 小泉さんがおっしゃられた通り、リーダーや政治のあり方について日本との違いは色々なところで感じます。一方で、世界から見える日本についても発見がありました。『夜が明ける』は日本にいた頃に書き始めて、カナダで書き上げた小説なんです。日本にいた頃も、書くうちに小説が変わっていくことはありましたが、この小説はカナダに来てからどんどん変わりました。

小泉 それはどういう部分ですか?

西 カナダに来て、周りの人に「小説家です」と言うと、「今何を書いてるの?」と聞かれます。一言では言えないけれど、今は日本の貧困について書いてると言うと、日本に貧困があるということを知らない人が多くて驚かれるんです。

小泉 そうなのか……。

西 南米や中近東、アフリカ出身の方もたくさんいるので、その方たちからしたら、貧困といってもごはんを食べられているんだからそんなに苦しくはないでしょう、僕たちの国では貧しさで人が死ぬと。でも、先ほどの「恐怖を受け入れる」話にも通じるんですけど、日本のこの辛さは、他国に比べたら大したことないから我慢しないと、というものではないはずです。日本人は特に、「●●と比べたら」という比較で目を瞑ったりなかったことにしたりしがちです。それは苦しさをやはり「乗り越えている」だけで、それを受け入れて、きちんと自覚していることにならないんですよね。

小泉 そうですね、比べられないですよね。

西 それは違う、嫌だと思って、けっこう変えたところや書き足した部分もあります。人によってしんどいと感じることは違うんだから、しんどいと思ったらしんどいって言っていいんだ、ということを書きたい気持ちが強くなりました。

小泉 日本人の国民性というか性格みたいなものに依るものなんでしょうか。他にも何か感じたところはありましたか?

西 自己責任っていう言葉が英語ではなかなか伝わりにくいです。セルフレスポンシビリティと表現することもできますが、それだと自立っぽいニュアンスがあるようで、ちょっと違うような気もします。少なくともこちらでは、「自己責任だからあなたのせいだ」と言われるためのツールにはなっていないと思います。あとは恥の概念ですね。例えば、日本人の中には、自分が職を失ったことや家を失ったことを恥ずかしくて家族に言えない、という方もいらっしゃいます。でもカナダではそういう状況が信じられないみたいです。その話をした時、カナダ人の友人に「どうして家族に言えないの?」と聞かれて「恥の意識があって」と答えると「恥って何?」と聞かれて答えに窮しました。カナダ人は、日本人に比べると「あなたのせいだ」と言われる状況が少なかったんだと思います。だから、しんどいときに、自然と人に助けを求められるんじゃないかなと。日本社会に根付いている「恥」という感覚がみんなを苦しめてるように感じます。

小泉 そうかもしれない。でも、日本社会も日本人の中にも、今まさに、少しずつ意識を変えようとか行動を起こそうという人が増えている気がします。

西 さっき、私が小説で書きたいことの一つに「人間は変われる」ということ、と言ったのですけど、今、小泉さんとお話ししながら、「自分を取り戻す」ということも書きたかったことの一つだと改めて気づきました。私たちは人種や国籍や性別など関係ないピュアな生き物として生まれてきたはずなのに、社会にいる間に自分の軸が分からなくなって、周りから「価値観」や「常識」の粘土で塗り固められた人間になる。例えば、十代の頃の私なんて、「可愛くないと駄目」だとか、そんなことばっかり思っていたんです。目指すべき「可愛さ」すら自分のものではないのに。そういう価値観にがんじがらめになってる時点で、私たちの魂や体が社会に奪われてしまってるとも言えますよね。自分が本当に愛している身体とか心がなんなのか分からなくなっちゃう。

 例えば卑近なことで言えば、どんな業界でも、編集者になったら編集者っぽくなるし、広告代理店に入社したら広告代理店の人っぽくなって、みんな自分をどこかで手放してしまってるように思うんですよね。この小説の主人公も、この業界に入ったからにはもう、俺は絶対に愚痴らない、根性でやり遂げる、と思ってしまってたんですよ。そんな状況下で心身を社会から取り戻す作業って本当に大変だし体力を使うけれど、せめて小説内でそれが出来たらと思います。

新潮社 小説新潮
2021年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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